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千島列島 ちしまれっとう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

千島列島
ちしまれっとう

ロシア東部のカムチャツカ半島北海道との間に連なる島群で,太平洋からオホーツク海を分ける。ロシア語ではクリル列島 Kuril'skie ostrova。北東から南西にかけて約 1200kmにわたって弧状に連なる 50以上の島からなり,総面積 1万5600km2

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デジタル大辞泉の解説

ちしま‐れっとう〔‐レツタウ〕【千島列島】

北海道東端からカムチャツカ半島南端に連なる列島。国後(くなしり)択捉(えとろふ)得撫(うるっぷ)幌筵(ぱらむしる)占守(しゅむしゅ)などの島からなる。活火山が多い。付近の海域は魚類資源が豊富。安政元年(1855)日露和親条約によって択捉水道を国境とし、明治8年(1875)樺太(からふと)千島交換条約で全島が日本領となる。第二次大戦後、ソ連が全島を統治し、現在はロシア連邦の管理下にある。クリル列島。クリール列島

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百科事典マイペディアの解説

千島列島【ちしまれっとう】

北海道とカムチャツカ半島との間約1200kmにわたる火山性の弧状列島オホーツク海と太平洋を分ける。ロシア名はクリルKuril列島。総面積は約1万km2
→関連項目アイヌ蝦夷蝦夷地近藤重蔵チャシ根室海峡領土問題和人地

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世界大百科事典 第2版の解説

ちしまれっとう【千島列島】

太平洋の北西部,北海道本島の東端から北東に,カムチャツカ半島まで連なる全長約1200kmの弧状列島。千島の名はもと〈蝦夷が千島〉と称したことによるといわれる。ロシア名のクリル列島Kuril’skie ostrovaはロシア語の〈クリーチ(煙をはく)〉,またはカムチャダール語の〈クーシ(南方に住む者たち)〉から出たものといわれる。おもな島は南から国後(くなしり)島択捉(えとろふ)島ウルップ(得撫)島,シムシル(新知)島,シャスコタン(捨子古丹)島,オネコタン(温禰古丹)島,パラムシル(幌莚)島,アライト(阿頼度)島,シュムシュ(占守)島など24を数え,うち1000km2以上の面積をもつのは国後,択捉,ウルップ,パラムシルの4島である。

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大辞林 第三版の解説

ちしまれっとう【千島列島】

北海道東端とカムチャツカ半島南端との間に、北東方向に弧状に連なる列島。活火山が多い。主な島は国後くなしり・択捉えとろふ・得撫うるつぷ・幌筵ぱらむしる・占守しむしゆなど。1854年日露和親条約により択捉島以南を日本領と定めたが、75年(明治8)樺太からふと千島交換条約により全島が日本領となった。第二次大戦後はソ連を経てロシア連邦の占領下にあり、日ロ間で領土問題になっている。ロシア名、クリル列島。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千島列島
ちしまれっとう

北太平洋にカムチャツカ半島南端から北海道東端にかけて連なる火山性の列島。長さ約1200キロメートルの間に花綵(かさい)状に雁行(がんこう)している。日本では古く蝦夷(えぞ)が千島、クルミセ(久留味世とも書き、「人間」を意味するアイヌ語の「クル」に由来)などとよばれ、列島の名称になったとされる。大きく分けて北千島、中千島、南千島に三分される。英語名クリル諸島Kuril Islands、ロシア語名もクリル諸島Курильские Острова/Kuril'skie Ostrovaであるが、政治的には、「クリル諸島」という名称に南千島は含まれないというのが日本政府の見解である。なお、ロシア連邦では色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島をあわせて小クリル列島Малая Курильская Гряда/Malaya Kuril'skaya Gryadaとよんでいる。主要な島の数は25を超えるが、面積50平方キロメートル以上の島を北から順にあげると、以下の13島である(〔 〕内はロシア語読み)。
 占守(しむしゅ)〔シュムシュ〕島、阿頼度(あらいと)〔アライド〕島、幌筵(ほろもしり)〔パラムシル〕島(以上北千島)。
 温禰古丹(おねこたん)〔オネコタン〕島、春牟古丹(はるむこたん)〔ハリムコタン〕島、捨子古丹(しゃすこたん)〔シャシュコタン〕島、松輪(まつわ)〔マツア〕島、羅処和(らしょわ)〔ラシュア〕島、計吐夷(けとい)〔ケトイ〕島、新知(しんしる)〔シムシル〕島、得撫(うるっぷ)〔ウルップ〕島(以上中千島)。
 択捉(えとろふ)〔イトルプ〕島、国後(くなしり)〔クナシル〕島(以上南千島)。[渡辺一夫]

自然

いずれの島も、太平洋プレート(岩盤)北西縁に形成された千島海溝の西側に、アジア大陸の縁辺部に沿って噴出した火山島で、総面積は約1万平方キロメートルである。基底部に第三紀層を露出する島もあるが、島体のほとんど全部が火山噴出物で形成されている。海岸線は単調で、一般に急崖(きゅうがい)が海に迫り、よい投錨(とうびょう)地は少ない。阿頼度富士(2339メートル、阿頼度島)、爺爺(ちゃちゃ)岳(1822メートル、国後島)、単冠(ひとかっぷ)山(1566メートル、択捉島)をはじめ、標高1000メートルを超える火山は25座以上、活火山も16座以上(ロシア資料では約40)ある。円錐(えんすい)火山、カルデラ、沈水カルデラ、溶岩台地、二重・三重式火山、温泉が多数あり、火山地形の博物館と称しても過言ではない。
 気候は冷涼・湿潤なモンスーン気候である。気温・降水量とも南から北へ向かうほど低くなり、月平均気温は2月零下5~零下7℃、8月17~9℃、年降水量1000~600ミリメートルとなる。冬から春にかけてオホーツク海岸は流氷に閉ざされ(もっとも長い年で2~5月にわたる)、夏には全域で濃霧が続き、秋に晴天が多くなる。
 植生は一般に貧しく、南部ではエゾマツ、トドマツ、カンバなどの林があるが、北部ではわずかな低木と広い笹(ささ)原、裸地となり、海岸からただちに高山植物帯が始まる島もある。植物分布では択捉―得撫島間の択捉海峡(フリース海峡)上の宮部(みやべ)線により、北海道系、カムチャツカ系の分布が分かれるという特色がある。動物ではヒグマ、キツネ、リス、テンの類、沿岸部にセイウチ、オットセイ、アザラシ、クジラ類がみられる。[渡辺一夫]

第二次世界大戦前の状況

江戸時代は千島国とよばれ、1875年(明治8)の樺太(からふと)・千島交換条約以後は全域が日本の領土となり、第二次世界大戦終結の1945年(昭和20)まで北海道根室(ねむろ)支庁(現根室振興局)管内にあった。南千島は開発の歴史が古く、「越年(おつねん)」する者も多かった。農業、牧場経営、伐木、硫黄(いおう)採取なども行われたが、もっとも多かったのは漁業者と水産業・水産加工業従事者であった。水産物はサケ、マス、カニ、タラ、オヒョウ、ホタテガイ、ホッキガイ、コンブなどで、一部は加工場に回された。中心集落は古釜布(ふるかまっぷ)(国後島)と紗那(しゃな)(択捉島)。1941年、日米開戦に先だち、日本の連合艦隊がハワイ奇襲のために択捉島単冠(ひとかっぷ)湾に集結したことはよく知られている。中千島は農林省の管轄下に置かれ、養狐(ようこ)場があり、一般の定住者はなかった。北千島は少数の定住者のほか、水産会社などに雇われた繰込み漁夫が夏季に集まり、漁業・水産加工に従事し、盛時には2万人に達した。小集落が片岡(占守島)、柏原(幌筵島)にあった。[渡辺一夫]

千島の現状

第二次世界大戦後、ソ連は全域をロシア連邦共和国サハリン州(樺太(からふと))に所属せしめ、片岡をバイコボБаиково/Baikovo、柏原をセベロ・クリリスクСеверо‐Курильск/Severo-Kuril'sk(北クリル市の意)、紗那をクリリスク、古釜府をユージノ・クリリスクЮжно‐Курильск/Yuzhno-Kuril'sk(南クリル市)とよんだ。また、その他の集落、山河の名称もロシア名にかえた。南部ではライムギ、ジャガイモの栽培、畜産、林業が行われ、温泉熱利用の野菜を栽培するソフホーズ、缶詰コンビナート、漁業コルホーズなどの集団企業ができた。全体に水産、水産加工、毛皮獣飼育、サケ・マス孵化(ふか)事業は盛んである。
 全人口は約2万と伝えられ、列島南部を中心に人口が増大している。人口集中地区には学校、病院、文化会館、商業施設、行政機関がある。ユージノ・クリリスクには1973年からモスクワ放送などを宇宙中継するテレビセンターが置かれ、同市とクリリスクで新聞も発行されていると伝えられる。中心市ユージノ・クリリスクおよびクリリスクは、サハリンのユージノ・サハリンスク(豊原(とよはら))と定期空路で結ばれる。軍事基地もあるが、規模などは明らかでない。
 日本との間には北方領土問題があるが、千島海域漁業の安全操業、サケ・マスなどの資源捕獲量、墓参などについては、実務レベルで協議が行われてきた。[渡辺一夫]

歴史

千島列島には昔からアイヌが住んでおり、彼らは島伝いに交易を行った。千島列島を最初に「発見」したヨーロッパ人はオランダ人で、1643年フリースの指揮する東インド会社の船が南千島を発見した。しかし彼らは誤って、これらの島を日本や北米大陸の一部だと信じた。ロシア人が千島列島の探検に乗り出したのは1711年で、18世紀の末までに南千島にまで進出し、先住民に毛皮税を課し、一時は得撫島をラッコ猟の根拠地とした。
 一方、日本の江戸幕府は1798年(寛政10)180人からなる蝦夷地巡察隊を派遣し、これに加わった近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)(守重(もりしげ))は択捉島に渡って「大日本恵登呂府」の標柱を立てた。翌年、高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)によって択捉島への航路が開かれ、漁場もつくられた。
 1855年2月(安政1年12月)の日露通好条約により、千島列島の帰属は得撫島以北がロシア領、択捉島以南が日本領と決まった。このあと1875年(明治8)の樺太・千島交換条約(サンクト・ペテルブルグ条約)で、全千島列島が日本領土となった。しかし第二次世界大戦末期のヤルタ会談で、スターリンは対日参戦の代償として千島列島を要求し、ルーズベルトはこれを承認した。日本の敗戦後、ソ連軍はこれらの島に進駐し、1945年(昭和20)9月20日千島全域がソ連領であると宣言され、サハリン州に編入された。
 日本は1951年(昭和26)のサンフランシスコ講和条約で千島列島の領有権を放棄したが、日本政府は、この条約にはソ連は加盟しておらず、列島の帰属は未定であり、また国後、択捉、歯舞、色丹の諸島は日本の固有の領土だとの立場をとっている。一方ソ連は1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結後、歯舞諸島(歯舞群島)と色丹島を日本に引き渡すことを約束したが、1960年の日米安全保障条約改定後は、日本から外国軍隊が撤退するまでは引き渡さないというようになり、さらにその後、日ソ間に領土問題は存在しないとの立場をとるようになった。1979年夏以降、ソ連は色丹島にも軍事基地の建設を始め、千島列島は軍事的にも注目されるようになった。1991年のソ連解体後も、ロシア連邦政府の北方領土に対する考えに基本的変化はなかった。その後、ロシアの大統領エリツィンは、1997年(平成9)11月のクラスノヤルスクでの首相橋本龍太郎との会談で、日本との領土問題を2000年までに解決するとの意向を語った。さらに1998年4月の伊豆川奈での会談では、橋本龍太郎の側からエリツィンに千島列島の国境線画定が提案され、領土問題は解決に向かって一歩前進した。しかしロシア国内には領土はけっして譲るべきではないとの強硬な反対派もいて、前途は多難である。[外川継男]
『北海道庁編『千島概誌』(1977・国書刊行会) ▽綜合北方文化研究会編『千島博物誌』(1977・国書刊行会) ▽木村信六他著『千島・樺太の文化誌』(1984・北海道出版企画センター・北方歴史文化叢書) ▽ボリス・スラヴィンスキー著、加藤幸廣訳『千島占領―1945年夏』(1993・共同通信社)』

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世界大百科事典内の千島列島の言及

【樺太・千島交換条約】より

…同年8月22日批准,11月10日布告。明治政府が旧幕府からひきついだ北方領土の状況は,安政1年12月21日(1855年2月7日)調印の日露和親条約以来,樺太(サハリン)は日露両国民雑居の地とされ帰属未解決のままであり,千島(クリル)列島は択捉(えとろふ)島,ウルップ島の間を日露の境界とし,その以北をロシア領としてきた。イギリス公使パークスは日本の樺太放任はロシア領化を招くと警告し,ロシアに売却するか代地と交換するのを良策とし,むしろ北海道開拓に専念するよう忠告した。…

【日露和親条約】より

…最大の問題は国境問題であった。プチャーチンはサハリン(樺太)での分界を提案し,クリル列島(千島列島)ではエトロフ(択捉)島のロシア帰属ないし分有を主張した。日本側はエトロフ島は日本領だと固執し,サハリンでは北緯50度での分界を主張した。…

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