日本歴史地名大系 「西宗高村」の解説 西宗高村にしむねたかむら 静岡県:富士市旧吉原市・鷹岡町地区西宗高村[現在地名]富士市富士岡(ふじおか)・富士岡南(ふじおかみなみ)花守(はなもり)村の東に位置する。「駿河記」によると、遠江国榛原(はいばら)郡宗高(むなだか)村(現大井川町)の住人がこの地に移住し、宗高(むねたか)村を開いたという。江戸前期に同村が分村して当村と東宗高村が成立したと思われる。寛永九年(一六三二)幕府領となる。寛永改高附帳では分村前の宗高村がみえ、田方八二六石余・畑方八二石余。元禄郷帳には西宗高村がみえ、高七三二石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。宝永七年(一七一〇)の旗本戸田領郷村高帳に西宗高村八五石余・同所新畑一〇石余・同所新田三石余とみえ、当時相給の村となっていたとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by