宗高村(読み)むなだかむら

日本歴史地名大系 「宗高村」の解説

宗高村
むなだかむら

[現在地名]大井川町宗高

上小杉かみこすぎ村の南に位置し、村内を田中たなか川が南東流する。田沼たぬま街道が通る。嘉吉三年(一四四三)の初倉庄江富郷検地目録(南禅寺文書)に宗高とみえ、字名として天神西・天神森添・天神後・小泉家跡・小泉南・薬師西・仁羽跡古屋敷などがある。文禄二年検地高目録には棟高村とあり、高六三四石余。正保郷帳では田方一千二〇六石余・畑方八〇石余、幕府領、ほかに若宮八幡領五石・林松院領二石・高福(高徳か)寺領三石余がある。

宗高村
むなだかむら

[現在地名]新城市平井ひらい

下平井しもひらい村の東部伊那街道の通る部分は近世初頭から町並を形成し、新切も行われたので、慶安元年(一六四八)分村して宗高村となった。近世を通じて新城藩領。村高は慶安二年の新切帳(宗高区有)では畑二町余のみの二三石余であったが、元禄七年(一六九四)の新切帳(宗高区有)では七三石余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報