日本歴史地名大系 「西野谷村」の解説 西野谷村にしのやむら 群馬県:太田市西野谷村[現在地名]太田市西野谷・宝町(たからまち)上田島(かみたじま)村の東、金(かな)山西南麓の沖積地内の微高地にあり、東は細谷(ほそや)村、北は沖野(おきの)村・由良(ゆら)村。日光例幣使街道が東西に通る。文保二年(一三一八)一〇月六日の新田義氏・同重広連署去渡状(長楽寺文書)に「新田庄西谷村内三郎太郎入道在家壱宇畠一丁弐段、田一丁壱段」とみえ、新田義妙の嫡子に沽却している。また大谷道海が娘由良景長妻の名で買得し、嘉暦三年(一三二八)一一月八日に長楽(ちようらく)寺(現新田郡尾島町)に寄進した地のうちに「西谷村在家四間・畠捌段田陸町」があり(「大谷道海寄進状案」長楽寺文書)、年未詳の長楽寺寺領目録案(同文書)には、道海寄進の地として「西谷村在家等 田畠十一町九反」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by