デジタル大辞泉 「護持院ヶ原の仇討」の意味・読み・例文・類語 ごじいんがはら‐の‐あだうち〔ゴヂヰンがはら‐〕【護持院ヶ原の仇討】 弘化3年(1846)江戸神田護持院ヶ原で、幕臣井上伝兵衛・松山藩士熊倉伝之丞兄弟を殺害した本庄辰輔(茂平次)を、伝兵衛の剣術の弟子小松典膳と伝之丞の子伝十郎とが討ち果たした事件。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例