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仁孝天皇 にんこうてんのう

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美術人名辞典の解説

仁孝天皇

第百二十代天皇。光格天皇第六皇子。幼名は寛宮、諱は恵仁。古儀の復興に意を用い、また学問を奨励して古典講釈会を催した。さらに学習所(のち学習院)の創設を計画したが、講堂の完成前に、弘化3年(1846)崩御、47才。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

にんこう‐てんのう〔ニンカウテンワウ〕【仁孝天皇】

[1800~1846]第120代天皇。在位1817~1846。光格天皇の第6皇子。名は恵仁(あやひと)。父天皇の遺志を継いで、堂上子弟のために学舎(のちの学習院)建設を命じた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

仁孝天皇 にんこうてんのう

1800-1846 江戸時代後期,第120代天皇。在位1817-46。
寛政12年2月21日生まれ。光格天皇の第6皇子。母は藤原婧子(ただこ)(東京極院)。父の譲位をうけて即位。父が院政をおこなう。幕府は11代将軍徳川家斉(いえなり),12代家慶(いえよし)の時代。学問をこのみ,父の発意による公家子弟の教育機関である学習所(のちの学習院)創設に着手した。弘化(こうか)3年1月26日死去。47歳。墓所は後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は寛(ゆたの)宮。諱(いみな)は恵仁(あやひと)。
【格言など】四方(よも)の海をさまる世とて国つ民にぎはひうたふ声もゆたけし(内裏和歌御会)

出典|講談社
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大辞林 第三版の解説

にんこうてんのう【仁孝天皇】

1800~1846) 江戸後期の第一二〇代天皇(在位1817~1846)。名は恵仁あやひと。光格天皇第四皇子。父光格天皇とともに、廷臣への講学に意を用いて学舎建設を命じ、これがのちの学習院となる。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

仁孝天皇
にんこうてんのう

[生]寛政12 (1800).2.21. 京都
[没]弘化3 (1846).1.26. 京都
第120代の天皇(在位 1817~46)。名,恵仁(あやひと)。幼称,寛宮。光格天皇の第6皇子。母は東京極院藤原ただ子(ただこ)。文化6(1809)年皇太子となり,同 14年即位。先帝光格天皇の遺志を継いで廷臣に講学の道を開くため,建春門外に学習所(のちの学習院)を創設しようとしたが,その中途で没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

仁孝天皇
にんこうてんのう
(1800―1846)

120代とされる天皇(在位1817~46)。119代光格(こうかく)天皇第四皇子、母は東京極(ひがしきょうごく)院勧修寺(かじゅうじただこ)。名は恵仁(あやひと)、幼称は寛宮(ゆたのみや)。1809年(文化6)皇太子となり、17年3月22日受禅し、同年9月21日即位の礼を行う。先帝の旧儀復興の意志を継承し、58代光孝(こうこう)天皇以来中絶していた諡号(しごう)を父光格上皇崩御(ほうぎょ)後奉って再興するとともに、公家(くげ)の学問向上を目ざす学習所(後の学習院)の設立に着手したが、竣工(しゅんこう)前に崩じた。京都後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)に葬られた。[上野秀治]

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