貝野瀬村(読み)かいのせむら

日本歴史地名大系 「貝野瀬村」の解説

貝野瀬村
かいのせむら

[現在地名]昭和村貝野瀬

糸井いとい村の北東、赤城山北西山麓と片品かたしな川の間の河岸段丘上に立地。寛文郷帳によると田方五〇石余・畑方六四九石余、幕府領。江戸後期の御改革組合村高帳では三二〇石余が幕府領、三七四石余が旗本鈴木領、家数一一九。享保元年(一七一六)村では威し鉄砲五挺があるが、「猪鹿大分出来仕、耕作喰荒シ惣百姓難儀仕」という理由で、さらに一挺を借受けたいと幕府代官所に願出ている(同年「威鉄砲拝借証文」林文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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