デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賢子女王」の解説 賢子女王 けんしじょおう 1746*-1789 江戸時代中期,伏見宮貞建(さだたけ)親王の第5王女。延享2年12月24日生まれ。権(ごんの)大納言広幡輔忠(ひろはた-すけただ)(前豊(さきとよ))の妻となり,3子をもうけた。天明3年夫が没すると仏門にはいり,解脱香院(げだつこういん)と号した。寛政元年11月6日死去。45歳。 賢子女王 さとこじょおう ⇒けんしじょおう 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「賢子女王」の解説 賢子女王 (さとこじょおう) 生年月日:1745年12月24日江戸時代中期;後期の女性。伏見宮貞建親王の第5女1789年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by