跡津川銅鉛山跡(読み)あとつがわどうなまりやまあと

日本歴史地名大系 「跡津川銅鉛山跡」の解説

跡津川銅鉛山跡
あとつがわどうなまりやまあと

[現在地名]神岡町跡津川

跡津川村山内の字北平山きたびらやま付近には古鋪跡があり、茂住もずみ村銀山の山続きで境界もはっきりしなかったが、天保一四年(一八四三)鉛山問掘がなされ、万延元年(一八六〇)には増産を試みている。当時出銅・鉛の最も多かったのは間山谷まやまだに銅鉛山で、同じく字北平には白目鉛山が開かれている。明治五年(一八七二)の飛騨国鉱山箇所概表(葛谷文書)や同六年の間山谷鉱山借区取調書(県立歴史資料館蔵)によれば、「跡津村宮ノ尾」に鉛山が再興され、坑数一・坑坪数三八〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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