吉城郡(読み)よしきぐん

日本歴史地名大系 「吉城郡」の解説

吉城郡
よしきぐん

面積:一三五五・八九平方キロ
国府こくふ町・古川ふるかわ町・河合かわい村・宮川みやがわ村・神岡かみおか町・上宝かみたから

県最北部に位置し、東は飛騨山脈を境に長野県大町おおまち市・南安曇みなみあずみ郡、北は富山県上新川かみにいかわ郡・婦負ねい郡・東礪波ひがしとなみ郡、西と南は大野郡・高山市に接する。古川・神岡両盆地を除いては、宮川高原たかはら川沿岸の河岸段丘や山間平坦地に小規模な集落が散在し、大部分が山地で森林資源に恵まれる。宮川が南北に縦貫し、飛騨山脈から郡北東部を西流する高原川が富山県境で合流し、神通じんづう川となって日本海に流れ込む。宮川沿いにJR高山本線、高原川沿いに神岡鉄道が通り、国道四一号・三六〇号がある。神岡町には日本有数の亜鉛鉱山があり、上宝村は中部山岳国立公園に属し、古川町国府町は高山市と結んだ商工業圏という特色を有するが、全般に農林業を中心とし、宮川村・河合村では過疎の問題が深刻である。

もと荒城あらき郡で、鎌倉時代末期より吉城郡ともよばれるようになり、中世には併用され、近世になって吉城郡に統一された。吉城郡は上宝永昌えいしよう寺蔵の大般若波羅蜜多経の嘉暦元年(一三二六)四月晦日の奥書に「吉城郡角川村」とあるのが初見。荒城郡は新開地を意味したが、その後荒の字を忌み、好字の吉城に変えたと思われる。

〔原始〕

先土器時代遺跡として、宮川村大無雁の岩野おおむかりのいわの遺跡、同村西忍の稲葉にししのびのいなば遺跡がある。縄文時代遺跡は宮川・高原川流域の山麓や段丘部を中心に郡内全域に分布する。古川町上気多の沢かみきたのさわ遺跡は早期の遺跡で、竪穴住居跡一、黒鉛を含む押型文土器が出土し、県内でも最も古い時代に属する。同町太江の御番屋敷たいえのごばんやしき遺跡では七ヵ所の炉跡を発見、竪穴住居一が発掘され、中期を中心とする土器多数を出土した。国府町の村山むらやま遺跡は県下で初めて竪穴住居跡が発掘された前期遺跡である。同町宮地みやじの荒城神社遺跡は中―晩期のもので、多様な石器を出土し、この地域の中期以降の石器のほとんどを網羅する。河合村保の室屋ほうのむろや遺跡からは敷石住居跡が、同村角川の下田つのがわのしもだ遺跡からは黒鉛入り押型文土器を伴う早期の住居跡一基をはじめ八基の住居跡が発掘された。高原川沿岸では押型文土器を出土する早期の上宝村本郷の向野ほんごうのむかいの遺跡、中期の同村上灘かんなた遺跡、同村吉野の宮の上よしののみやのうえ遺跡などがあり、中期に多量の土器を出土するが、後―晩期は遺物が少ない。神岡町柏原かしはらで最初に発見された御物石器は、飛騨を中心とする中部山岳地帯に限定された特異な祭器である。

弥生時代の遺跡は少なく、国府町八ヵ所、古川町・河合村各二ヵ所、神岡町・上宝村各一ヵ所にすぎない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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