銭屋町
ぜにやちよう
東西に通る的場通を挟む両側町。
平安京の条坊では、左京六条三坊二保五町南側の地。平安時代、当町全域は六条右大臣源顕房の邸宅であった(拾芥抄)。
慶長七年(一六〇二)以来、寛永一八年(一六四一)に島原が成立するまでの間、六条柳町あるいは六条三筋町と称する遊郭であった。寛永一八年以前平安城町並図には、単に「けいせい町」とあり、その点は三筋町(上柳町・夷町・当町)ともに共通するが、寛永一四年洛中絵図には「柳町下丁」、寛文後期洛中洛外之絵図には「下ノ三筋町」と各各記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 