朝日日本歴史人物事典 「鎌田正清の娘」の解説
鎌田正清の娘
鎌倉前期の女性。建久5(1194)年10月,源頼朝から尾張国志濃幾(愛知県春日井市),丹波国田名部(京都府舞鶴市)両荘の地頭職を恩補された。父正清の功と,正清に男子がなかったことによる。女性も男性と同様,地頭職を与えられていたことを示す好例である。勝長寿院で如法経十種供養を主催したことからみても,才智と経済力を備えた女性であったと思われる。
(田端泰子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報