鎌田正清の娘(読み)かまた・まさきよのむすめ

朝日日本歴史人物事典 「鎌田正清の娘」の解説

鎌田正清の娘

生年生没年不詳
鎌倉前期の女性。建久5(1194)年10月,源頼朝から尾張国志濃幾(愛知県春日井市),丹波国田名部(京都府舞鶴市)両荘の地頭職を恩補された。父正清の功と,正清に男子がなかったことによる。女性も男性と同様,地頭職を与えられていたことを示す好例である。勝長寿院で如法経十種供養を主催したことからみても,才智と経済力を備えた女性であったと思われる。

(田端泰子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む