出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… これらの絵画に見られる動向はまだ京都中心的であった。新興都市鎌倉にできた最初の大寺というべき勝長寿院は1185年(文治1)に落慶したが,その作画のために京都から宅磨派の絵師為久を呼び寄せているのもその一例である。しかし同寺の造仏のためには京都の円派や院派仏師ではなく,奈良から慶派の成朝が下った。…
…鎌倉幕府の正式記録とも目される《吾妻鏡》に,義経の一愛妾の消息が詳記されていることには疑義があり,すでに流布していた静の物語を《吾妻鏡》編纂時に取り込んだものと考えられている。義経の遺児が葬られた勝長寿院が,寺の縁起譚として静の物語を管理していたとの説もある。また,《義経記》では帰洛後静が出家し,天竜寺(田中本は天王寺)の麓に庵を結び,往生を遂げたという。…
※「勝長寿院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...