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勝長寿院 しょうちょうじゅいん

世界大百科事典 第2版の解説

しょうちょうじゅいん【勝長寿院】

神奈川県鎌倉市雪ノ下にあった寺院。阿弥陀山と号した。別称大御堂,南御堂。宗派不明。1185年(文治1),源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立し,当時,鶴岡八幡宮,永福(ようふく)寺とともに鎌倉の三大寺社の一つに数えられた。室町時代に入ってからも鎌倉公方足利氏の尊崇を受けたが,足利成氏が古河に移ってからは衰え,やがて廃寺となった。【今井 雅晴】

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世界大百科事典内の勝長寿院の言及

【鎌倉時代美術】より

… これらの絵画に見られる動向はまだ京都中心的であった。新興都市鎌倉にできた最初の大寺というべき勝長寿院は1185年(文治1)に落慶したが,その作画のために京都から宅磨派の絵師為久を呼び寄せているのもその一例である。しかし同寺の造仏のためには京都の円派や院派仏師ではなく,奈良から慶派の成朝が下った。…

【静御前】より

…鎌倉幕府の正式記録とも目される《吾妻鏡》に,義経の一愛妾の消息が詳記されていることには疑義があり,すでに流布していた静の物語を《吾妻鏡》編纂時に取り込んだものと考えられている。義経の遺児が葬られた勝長寿院が,寺の縁起譚として静の物語を管理していたとの説もある。また,《義経記》では帰洛後静が出家し,天竜寺(田中本は天王寺)の麓に庵を結び,往生を遂げたという。…

※「勝長寿院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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