長田忠致(読み)おさだ ただむね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長田忠致」の解説

長田忠致 おさだ-ただむね

?-? 平安時代後期の武士
尾張(おわり)(愛知県)野間内海荘と駿河(するが)(静岡県)長田荘の在地領主で,長田荘司(しょうじ)と称した。平治(へいじ)の乱に敗れた源義朝が郎党鎌田政家の舅(しゅうと)忠致の家に身をよせるが,忠致は裏切って義朝と政家を謀殺した。のち壱岐守(いきのかみ)となる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「長田忠致」の解説

長田忠致

生年生没年不詳
平安末期の武将。桓武平氏致経の子孫,河内源氏累代の家人とされる。尾張国(愛知県)知多郡居住。平治1(1159)年,平治の乱に敗れて東下する源義朝を一旦かくまいながら殺害古活字本平治物語』は挙兵した頼朝に従ったのち処刑されたとするが,あるいは『吾妻鏡』に治承4(1180)年討たれたとある「長田入道」がその後身か。

(元木泰雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の長田忠致の言及

【源義朝】より

…恩賞により左馬頭(さまのかみ)となったが,信西(しんぜい)と組んだ清盛と不和になり,59年(平治1)12月清盛が熊野参詣に赴いた留守をついて藤原信頼とともに挙兵し,平治の乱を引き起こした。しかし急ぎ帰京した清盛の軍勢に敗れ,東国に逃れる途中,尾張国知多郡野間(現,愛知県知多郡美浜町野間)で家人長田忠致(おさだただむね)のために鎌田正清ともども殺された。平治1年12月29日とも永暦1年1月4日ともいわれる。…

※「長田忠致」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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