馬島村(読み)まじまむら

日本歴史地名大系 「馬島村」の解説

馬島村
まじまむら

[現在地名]大治町馬島

南は三本木さんぼんぎ村、西は西条にしじよう村に接する。明眼みようげん院があるため広く知られた村。天文二二年(一五五三)八月一六日織田信長が萱津かやづ合戦の時、この地で奮戦したことが伝えられる。永禄九年(一五六六)二月の織田信長判物写(「尾張国寺社領文書」東洋文庫蔵)に「尾州海東郡間嶋村」とみえる。

「徇行記」によれば、概高一二三石余はすべて藩士四人の給知。田は四町二反四畝余、畑は三町一畝余。ほかに領高外として明眼院朱印領五二石余がある。「寛文覚書」に戸数六、人数二〇とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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