さんぼん‐ぎ【三本木】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 同じ所から枝が三つまたになって出ている木。山の神木として、伐ることを避ける。三本股。
- [ 2 ]
- [ 一 ] 宮城県中央部の地名。江戸時代は奥州街道吉岡と古川の間の宿場町、鳴瀬川の河港として発達した。
- [ 二 ] 青森県十和田市の中心部の地名。もと奥州街道の宿駅。馬市で知られた。現在は奥入瀬渓谷、十和田湖への入口。旧上北郡三本木町。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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三本木
さんぼんぎ
(新三本木)
東三本木通が南北に通る上之町・中之町・南町一帯をいう。
三本木はもと東洞院通にあり、寛文五年(一六六五)刊「京雀」に「出水通さがる 上三本木町」「下だちうりさがる 三本木二町目」「三本木三町目」「かすが通さがる 三本木四町目」と出る。また貞享二年(一六八五)刊「京羽二重」には「洛陽異名」の一つに「三本木 ひがしのとうゐん通下立うり通上る所なり」と書上げられ、「ゑきぬ」を扱う商人や「のしめ屋」が住んでいた。この地は現京都御苑内の南東の地にあたる。
宝永五年(一七〇八)の大火を機に京都御所が拡張されることとなり、三本木一丁目―三丁目の人家を鴨川西岸の現在地に移して開町した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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三本木(宮城県)
さんぼんぎ
宮城県中部、志田郡(しだぐん)にあった旧町名(三本木町(ちょう))。現在は大崎(おおさき)市の南部を占める地域。旧三本木町は1895年(明治28)町制施行。2006年(平成18)古川市(ふるかわし)、志田郡松山町(まつやままち)、鹿島台町(かしまだいまち)、玉造(たまつくり)郡岩出山町(いわでやままち)、鳴子町(なるこちょう)、遠田(とおだ)郡田尻町(たじりちょう)と合併して市制施行、大崎市となった。旧町域の南部は丘陵、北部は鳴瀬(なるせ)川が流れる水田地帯。国道4号が通じる。江戸時代には仙台藩領に属し、鳴瀬川の舟運により藩の米蔵が置かれ、奥州街道の宿場も設置されていた。第二次世界大戦後は亜炭の産地として繁栄を迎えたが、エネルギー改革により炭鉱は閉山された。現在、米作のほかにナノハナ、食用ヒマワリの栽培が盛ん。また、大規模なアルミ建材工場が稼動している。国指定史跡に装飾古墳を含む山畑横穴群がある。
[後藤雄二]
『『三本木町誌』(1966・三本木町)』
三本木(青森県)
さんぼんぎ
青森県南東部の十和田市(とわだし)の中心地区。旧三本木町。江戸時代には陸羽(りくう)街道の宿駅であり、また馬市で知られた。
[編集部]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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三本木[町]【さんぼんぎ】
宮城県中部,志田郡の旧町。主集落は鳴瀬川の河港として発達,奥州街道の要地でもあった。米を多産するほか,食用ヒマワリの栽培も行う。南部の丘陵地では亜炭を産したが,現在は閉山。2006年3月,古川市,志田郡松山町,鹿島台町,玉造郡岩出山町,鳴子町,遠田郡田尻町と合併し市制,大崎市となる。44.63km2。8584人(2003)。
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三本木
さんぼんぎ
宮城県北西部,大崎市南部の旧町域。鳴瀬川中流域に位置する。 1895年町制。 2006年古川市,松山町,鹿島台町,岩出山町,鳴子町,田尻町の1市5町と合体して大崎市となった。江戸時代は仙台藩領で,鳴瀬川の米の積出港として栄えた。中央を鳴瀬川が横断し,南部は山林地帯,北部は水田地帯に分かれる。主産物は米。かつては亜炭の産地であった。
三本木
さんぼんぎ
青森県東部,十和田市の中心市街地。旧町名。 1955年2村と合体して三本木市となり,56年改称して十和田市となった。市街は江戸時代末期,三本木原開拓に伴う都市計画により建設されたため,道路は東西,南北に碁盤の目のように整然としており,道路の幅も広い。旧奥州街道の宿場町。十和田湖観光の東の玄関口。
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