高峰妙子(読み)タカミネ タエコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高峰妙子」の解説

高峰 妙子
タカミネ タエコ


職業
宝塚スター

肩書
宝塚歌劇団声楽講師

本名
浅井 薫(アサイ カオル)

生年月日
明治33年 5月6日

経歴
大正2年宝塚唱歌隊第1期生として入団、3年第1回公演「ドンブラコ」で桃太郎役。同期生雲井浪子とともに大正時代の宝塚初期スターだった。昭和2年退団、5年から宝塚音楽学校、宝塚歌劇団の声楽講師、54年退任。

没年月日
昭和55年 11月15日 (1980年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「高峰妙子」の解説

高峰 妙子
タカミネ タエコ

大正・昭和期の宝塚スター 元・宝塚歌劇団声楽講師。



生年
明治33(1900)年5月6日

没年
昭和55(1980)年11月15日

本名
浅井 薫(アサイ カオル)

経歴
大正2年宝塚唱歌隊第1期生として入団、3年第1回公演「ドンブラコ」で桃太郎役。同期生雲井浪子とともに大正時代の宝塚初期スターだった。昭和2年退団、5年から宝塚音楽学校、宝塚歌劇団の声楽講師、54年退任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の高峰妙子の言及

【少女歌劇】より

…一方,大阪三越の少年音楽隊にヒントを得て箕面有馬(みのおありま)電気軌道株式会社(阪急電鉄の前身)の小林一三(いちぞう)が宝塚少女歌劇養成会を発足させ,14年に第1回公演を,宝塚新温泉プールを改造したパラダイス劇場で開いた。プログラムは桃太郎に取材した《ドンブラコ》《浮れ達磨(だるま)》《胡蝶(こちよう)》の3本立,第1期生には高峰妙子,雲井浪子ら16人がいた。当初の目的は宝塚のレジャー施設への客の誘致であったが,4年後には東京にも進出するようになり,帝国劇場に出演,東京でも生徒を募集して,日本舞踊を得意としのちにスターとなった天津乙女(あまつおとめ)(1905‐80)らが入団した。…

※「高峰妙子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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