知恵蔵 「高橋由伸」の解説
高橋由伸
小学校4年生の時に、地元の軟式野球チームである生浜ヤンキースで野球を始める。5年生、6年生の時には2年連続して千葉県大会優勝に貢献。中学時代は千葉市の少年硬式野球チームである千葉ジャガーズに所属。エースで4番として、2年連続全国制覇を成し遂げている。高校は神奈川の桐蔭学園へ進学。1年からライトのレギュラーポジションを獲得し、夏の甲子園大会に出場。3回戦まで進んでいる。2年夏にも甲子園に出場しているが、この大会では初戦でサヨナラ負けを喫して敗戦投手となった。3年時には甲子園に出場していない。高校通算で30本塁打を記録している。卒業後、慶應義塾大学へ進学。大学では1年からレギュラーとなり、東京六大学リーグには通算102試合に出場。366打数119安打の打率.325、23本塁打、62打点を記録。特に本塁打は田淵幸一(法政)の持っていた22本塁打を29年ぶりに更新する歴代1位の記録保持者となる。大学4年生だった97年秋に巨人を逆指名し、ドラフト1位で巨人入りが決まった。
巨人では98年のプロ1年目からいきなり開幕スタメンの座を手にすると、ライトのレギュラーポジションを獲得。ルーキーながら規定打席に到達し、打率.300を記録した。また、オールスターにはファン投票で選出され、強肩を生かした守備が評価されてゴールデングラブ賞にも輝いている。翌99年には打率.315、34本塁打、98打点の成績を収めてベストナインに初選出されたが、シーズン終盤にフェンスに激突して鎖骨を骨折し、戦線を離脱した。以後、何度も守備の際にフェンスを恐れないファイトを見せるものの、激突するなどして故障することが多々見受けられることになる。2001年には100本塁打を記録。03年には11打数連続安打、14打席連続出塁のプロ野球タイ記録を樹立。04年には1000本安打を達成し、06年には200本塁打に到達。07年にはセ・リーグ史上初となる開幕戦先頭打者初球ホームランを記録した。この年はシーズン最多の日本記録となる9回の初回先頭打者ホームランをマークしている。09年は腰痛のためにわずか1試合の出場に終わる自身最悪のシーズンだったが、10年に116試合に出場して復活。11年には1500本安打、12年には300本塁打を達成している。15年は選手兼1軍打撃コーチに就任。この年限りで現役を引退し、10月26日に監督就任会見を行った。18年間のプロ野球通算成績は、1819試合に出場し、打率.291、321本塁打、986打点だった。
(場野守泰 ライター/2015)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報