深作欣二(読み)フカサクキンジ

デジタル大辞泉 「深作欣二」の意味・読み・例文・類語

ふかさく‐きんじ【深作欣二】

[1930~2003]映画監督茨城の生まれ。「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督デビュー。社会に溶け込めない人々の絶望を描き、暴力的で過激な作品を多く世に出した。代表作仁義なき戦い」シリーズ、「魔界転生」「蒲田行進曲」「火宅の人」「バトル・ロワイアル」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「深作欣二」の意味・わかりやすい解説

深作欣二
ふかさくきんじ
(1930―2003)

映画監督。7月3日、茨城県生まれ。1953年(昭和28)日本大学を卒業後、東映に入社し、1961年に千葉真一(1939―2021)主演の小品で監督に昇進。『誇り高き挑戦』(1962)、『狼(おおかみ)と豚と人間』(1964)といった現代劇に才能をみせ、そこに力強く表現された、絶望的に戦いを挑む若者たちの姿やアウトローたちの生きざまは、やがて『仁義なき戦い』シリーズ(1973~1974)のような傑出した群像ドラマとして花開いた。日本映画界の製作本数減少とともに大作を監督することが多くなり、『資金源強奪』(1975)のような小品の味わいが薄くなったのは残念だが、その後も『蒲田(かまた)行進曲』(1982)、『火宅の人』(1986)、『いつかギラギラする日』(1992)などでつねに観客の大きな支持を得た。1996年(平成8)日本映画監督協会理事長に就任(~2003)。2000年(平成12)『バトル・ロワイアル』を発表、2002年12月『バトル・ロワイアルⅡ』の制作にとりかかるが翌2003年1月12日前立腺癌(ぜんりつせんがん)により死去。

[岡島尚志]

資料 監督作品一覧

風来坊探偵 赤い谷の惨劇(1961)
風来坊探偵 岬を渡る黒い風(1961)
ファンキーハットの快男児(1961)
ファンキーハットの快男児 二千万円の腕(1961)
白昼の無頼漢(1961)
誇り高き挑戦(1962)
ギャング対Gメン(1962)
ギャング同盟(1963)
ジャコ万と鉄(1964)
狼と豚と人間(1964)
脅迫 おどし(1966)
カミカゼ野郎 真昼の決斗(1966)
北海の暴れ竜(1966)
解散式(1967)
博徒解散式(1968)
黒蜥蝪(とかげ)(1968)
恐喝こそわが人生(1968)
ガンマ3号 宇宙大作戦(1968)
黒薔薇(ばら)の館(やかた)(1969)
日本暴力団 組長(1969)
血染の代紋(1970)
君が若者なら(1970)
トラ・トラ・トラ!(1970)
博徒外人部隊(1971)
軍旗はためく下に(1972)
現代やくざ 人斬り与太(1972)
人斬り与太 狂犬三兄弟(1972)
仁義なき戦い(1973)
仁義なき戦い 広島死闘篇(1973)
仁義なき戦い 代理戦争(1973)
仁義なき戦い 頂上作戦(1974)
仁義なき戦い 完結篇(1974)
新仁義なき戦い(1974)
仁義の墓場(1975)
県警対組織暴力(1975)
資金源強奪(1975)
新仁義なき戦い 組長の首(1975)
暴走パニック 大激突(1976)
新仁義なき戦い 組長最後の日(1976)
やくざの墓場 くちなしの花(1976)
北陸代理戦争(1977)
ドーベルマン刑事(1977)
柳生(やぎゅう)一族の陰謀(1978)
宇宙からのメッセージ MESSAGE from SPACE(1978)
赤穂城断絶(1978)
復活の日(1980)
青春の門(1981)
魔界転生(1981)
道頓堀川(1982)
蒲田行進曲(1982)
人生劇場(1983)
里見八犬伝(1983)
上海バンスキング(1984)
火宅の人(1986)
必殺4 恨みはらします(1987)
華の乱(1988)
いつかギラギラする日(1992)
忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994)
おもちゃ(1999)
バトル・ロワイアル(2000)
バトル・ロワイアル 特別編(2001)
バトル・ロワイアルⅡ 鎮魂歌(2003)

『深作欣二・山根貞男著『映画監督 深作欣二』(2003・ワイズ出版)』

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20世紀日本人名事典 「深作欣二」の解説

深作 欣二
フカサク キンジ

昭和・平成期の映画監督 日本映画監督協会理事長。



生年
昭和5(1930)年7月3日

没年
平成15(2003)年1月12日

出生地
茨城県水戸市

学歴〔年〕
日本大学芸術学部文芸科〔昭和28年〕卒

主な受賞名〔年〕
年間代表シナリオ(昭47 53 61 62年度)「軍旗はためく下に」「柳生一族の陰謀」「火宅の人」「必殺4 恨みはらします」,ゴールデン・アロー賞(映画賞 昭48年度)「仁義なき戦い」,ブルーリボン賞(監督賞 昭50年度)「仁義の墓場」「県警対組織暴力」,キネマ旬報賞(監督賞 昭57年度)「蒲田行進曲」,ブルーリボン賞(監督賞 昭57年度)「蒲田行進曲」,日本アカデミー賞(監督賞・脚本賞 第10回)〔昭和62年〕「火宅の人」,芸術選奨文部大臣賞(第45回 平6年度)「忠臣蔵外伝 四谷怪談」,日本アカデミー賞(監督賞・作品賞・脚本賞 第18回 平6年度)「忠臣蔵外伝四谷怪談」,紫綬褒章〔平成9年〕,ブルーリボン賞(特別賞 第45回)〔平成15年〕,日本アカデミー賞(会長特別賞 第26回)〔平成15年〕

経歴
昭和28年東映入社。翌年東京撮影所助監督勤務となり、36年「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督デビュー。39年谷口千吉監督の「ジャコ万と鉄」を高倉健の主演で再映画化してヒットさせた。48年「仁義なき戦い」を発表、広島の暴力団抗争事件を題材に、手持ちカメラによる荒々しい映像で描いて大ヒット。シリーズ化されて東映のヤクザ映画を任俠路線から実録路線へ転換させるきっかけとなった。57年つかこうへい原作・脚本の「蒲田行進曲」でキネマ旬報監督賞を受賞する。その後、「上海バンスキング」(59年)、「火宅の人」(61年)、「華の乱」(63年)、「いつかギラギラする日」(平成4年)、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(6年)、「おもちゃ」(10年)など時代劇、文芸物、SFと幅広い題材をスケール感のある映像と演出で描いて成功。8年日本映画監督協会理事長に就任。9年初のドキュメンタリー「20世紀黙示録・もの食う人びと」(テレ朝)を監督。12年中学生が生き残りをかけて殺し合う「バトル・ロワイアル」の過激な暴力描写が社会的な論議を巻き起こした。14年9月「バトル・ロワイアルII」の製作発表の席上、骨癌を公表。同年12月撮影を開始したが入院、15年1月死去。他の作品に「誇り高き挑戦」(昭和37年)、「軍旗はためく下に」(46年)、「人斬り与太」シリーズ(47年)、「仁義の墓場」(50年)、「柳生一族の陰謀」(53年)、「青春の門」(56年)などがある。

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百科事典マイペディア 「深作欣二」の意味・わかりやすい解説

深作欣二【ふかさくきんじ】

映画監督。茨城県生れ。1953年日大芸術学部卒業後,東映入社。中編《風来坊探偵・赤い谷の惨劇》(1961年)でデビュー。《ジャコ萬と鉄》(1964年),《狠と豚と人間》(1964年)などによって東映の中心的監督となる。広島の暴力団抗争をモデルとした〈実録〉任侠映画《仁義なき戦い》(1973年)は,無目的で破滅的な暴力を描いてヒット作となり,シリーズ化された。1980年代以降は情念に重きをおいた作品も手がけ,映画撮影所の大部屋スタント俳優を主人公とする《蒲田行進曲》(1982年),檀一雄原作の《火宅の人》(1986年),《忠臣蔵外伝・四谷怪談》(1994年),《バトル・ロワイアル》(2000年)などを発表した。
→関連項目高倉健タランティーノ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「深作欣二」の意味・わかりやすい解説

深作欣二
ふかさくきんじ

[生]1930.7.3. 茨城,水戸
[没]2003.1.12. 東京
映画監督。日本大学芸術学部卒業後の 1953年,東映に入社。1961年『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。1970年,アメリカ合衆国の映画会社 20世紀フォックスの映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側場面を舛田利雄監督と共同で担当した。1973年広島を舞台にした暴力団抗争を実録タッチで描いた『仁義なき戦い』が大ヒット,シリーズ化され,その後東映は任侠路線を実録路線に転換した。手持ちカメラによる粒子の粗い映像,菅原文太らのスターから大部屋俳優までが同じ迫力で躍動するアクション演出が海外の映画監督らに影響を与えた。1982年大部屋俳優をモデルにした『蒲田行進曲』で,日本アカデミー賞監督賞など多くの賞を受賞。2000年,残虐な描写で話題を呼んだ『バトル・ロワイアル』を発表。テレビドラマの演出,脚本も多数。1994年芸術選奨文部大臣賞,1997年紫綬褒章を受けた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深作欣二」の解説

深作欣二 ふかさく-きんじ

1930-2003 昭和後期-平成時代の映画監督。
昭和5年7月3日生まれ。昭和28年東映にはいる。36年「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督デビュー。37年の「誇り高き挑戦」で注目され,44年アメリカ映画「トラ・トラ・トラ!」の部分監督をまかされる。のち「仁義なき戦い」シリーズ,「蒲田行進曲」などのヒット作品を生む。平成8年から日本映画監督協会理事長をつとめた。妻は女優の中原早苗。平成15年1月12日死去。72歳。茨城県出身。日大卒。作品はほかに「柳生一族の陰謀」「火宅の人」「バトル・ロワイアル」など。

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367日誕生日大事典 「深作欣二」の解説

深作 欣二 (ふかさく きんじ)

生年月日:1930年7月3日
昭和時代;平成時代の映画監督
2003年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の深作欣二の言及

【仁義なき戦い】より

…いずれも菅原文太の演ずる広能昌三を主人公に,広島,呉における激烈な暴力団抗争を実録ふうに描くもので,第1作の第2次世界大戦直後から第5作の1970年まで時代を追ってドラマが展開し,全5作で一つの大河ドラマを形づくっている。監督はいずれも深作欣二(1930‐ )。脚本は前4作が笠原和夫,第5作のみ高田宏治。…

【忠臣蔵映画】より

…忠臣蔵映画の最初のカラー作品は56年の東映作品《赤穂浪士》二部作(松田定次監督),最初のカラー・ワイド作品は57年の松竹作品《大忠臣蔵》(大曾根辰保監督)である。以後,東映,松竹,大映,東宝によるオールスター大作がつづき,78年には東映作品《赤穂城断絶》が,深作欣二監督,萬屋錦之介の大石内蔵助でつくられた。これらのほか,赤穂義士外伝ものは枚挙にいとまがないほどで,とりわけ堀部安兵衛を主人公にした作品が数多い。…

※「深作欣二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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