鹿丸村(読み)かのまるむら

日本歴史地名大系 「鹿丸村」の解説

鹿丸村
かのまるむら

[現在地名]東彼杵町蕪郷かぶらごう中岳郷なかたけごう

千綿ちわた村の新田村で、千綿宿ちわたしゆく郷の東に位置する。貞享四年(一六八七、元禄三年とも)捕鯨で財をなした深沢家二代義太夫勝幸が三井木場みついこば堤近くに蕪堤・鹿丸堤(金丸堤)・中堤を築いて総灌漑面積二五町を開発、新田村の成立となった。中岳の鎮守大神宮が祀られ、農作百姓は西彼杵半島より招致されたという(「大村記」「大村郷村記」、深沢義太夫勝幸碑文など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む