西彼杵半島(読み)ニシソノギハントウ

デジタル大辞泉 「西彼杵半島」の意味・読み・例文・類語

にしそのぎ‐はんとう〔‐ハンタウ〕【西彼杵半島】

長崎市から北方に突出している半島。東は大村湾、西は角力灘すもうなだに面する。北部に佐世保とを結ぶ西海さいかい橋がある。

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精選版 日本国語大辞典 「西彼杵半島」の意味・読み・例文・類語

にしそのぎ‐はんとう‥ハンタウ【西彼杵半島】

  1. 長崎県中央部の半島。長崎市から北方に突き出し、五島灘から大村湾を限る。

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日本歴史地名大系 「西彼杵半島」の解説

西彼杵半島
にしそのぎはんとう

大村湾と五島灘に挟まれた半島で、南北の稜線によって大村湾に臨む東側の地域を内海うちめ、五島灘に面する一帯を外海そとめと称している。これを分ける山嶺は長浦ながうら(五六〇・八メートル)飯盛いいもり(五三〇・八メートル)などで、半島の中央丘陵と西部海岸および属島は西彼杵半島県立公園となっており、角力すもう灘に面した海食棚・奇岩の海岸部には島嶼群が散在し、七釜ななつがま湾やみやうら半島の海食崖などがある。河通ごうつう川のつがね落しの滝や岩背戸いわせと渓谷などのように半島の脊梁部から流れる伊佐いさうら川・神浦こうのうら川などの河川は深い浸食地形をみせる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西彼杵半島」の意味・わかりやすい解説

西彼杵半島
にしそのぎはんとう

長崎市北部から佐世保(させぼ)市に向って突出する半島。東は大村湾、西は角力灘(すもうなだ)に面する。長崎市、西海市(さいかいし)が立地する。半島の大半は結晶片岩の古生層によって構成され、標高400メートル内外の隆起準平原をなす。北部だけは標高200メートル内外の玄武岩台地である。中央部の準平原面上には、第二次世界大戦後の開拓地が散在し、開拓道路が山頂部を南北に縦貫しており、「県民の森」や「神ノ浦(こうのうら)ダム」「雪ノ浦(ゆきのうら)ダム」の施設を有する。古くからイノシシの生息地で、イノシシの侵入を防ぐ石積みによる「猪垣(いがき)」の遺構があり、現在もイノシシによる、イモ、ムギの被害は絶えない。半島の東岸はリアス海岸真珠養殖が盛ん。1955年(昭和30)伊ノ浦(いのうら)瀬戸針尾瀬戸)に西海橋が完成。また、国道206号が整備され、佐世保や長崎市中心市街地への交通も便利となり、ミカンスイカなどの換金作物の栽培が進捗(しんちょく)している。半島の西海岸は断層起源の海食崖(がい)が連続しているため道路の開発が遅れたが、現在は国道202号が海岸沿いに通じる。旧大村藩の西域にあたりキリシタン集落も多い。出津(しつ)や黒崎(くろさき)の教会は、付近の自然景観とともに崇高・敬虔(けいけん)な雰囲気を漂わせている。さらに、西方海上の松島(まつしま)は旧藩時代の捕鯨基地として知られたが、大正・昭和時代は大(おお)島、崎戸(さきと)島、池島とともに海底炭田の島として繁栄した。現在離島炭田は閉山している。北部の台地は畑作地帯で、中世末の開港場、横瀬(よこぜ)浦がある。

[石井泰義]


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百科事典マイペディア 「西彼杵半島」の意味・わかりやすい解説

西彼杵半島【にしそのぎはんとう】

長崎県西部の半島。東は大村湾,西は五島灘。おもに結晶片岩からなる低い山地で,西部と北部には良質の石炭を埋蔵し,西彼杵炭田を形成。山地の開発はおくれているが,北部はミカンとサツマイモ中心の畑作地帯,大村湾岸では真珠養殖が盛ん。北東端に西海橋がある。
→関連項目大島[町]大瀬戸[町]蛎ノ浦島琴海[町]五島灘西海[町]崎戸[町]西彼[町]外海[町]時津[町]長崎[県]長崎[市]

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改訂新版 世界大百科事典 「西彼杵半島」の意味・わかりやすい解説

西彼杵半島 (にしそのぎはんとう)

長崎県西部,長崎市から北へ突き出した南北約40km,東西約20km(最広部)の半島。東は大村湾,西は五島灘,北は佐世保湾に面し,胴体部をなす西彼(せいひ)山地,東部と北西部の丘陵地,そして北部の溶岩台地に区分できる。西彼山地は黒色の結晶片岩からなる標高400m前後の隆起準平原で,飯盛山(531m),焼山(416m)などは準平原面上の残丘である。北部の玄武岩からなる溶岩台地は標高200m前後で,中央の虚空蔵(こくぞう)山(307m)は台地上に噴出した火山砕屑丘である。西海市の旧西海町の七釜(ななつがま)には,海成の第三紀層中の多量の石灰藻化石を含む砂岩層が溶食されてできた七釜鍾乳洞が発達。洞内には小規模ながら,石柱,鍾乳石,石筍(せきじゆん)などの石灰岩地形がみられる。また旧西海町を基点に江戸時代に造られた猪垣(ししがき)が,今も尾根伝いに延々約60kmにわたって残されている。西海岸は海食崖が発達した岩石海岸で,道路整備が遅れ,長崎あるいは佐世保からの沿岸航路に頼る陸の孤島であったが,今では国道202号線が走り,雪浦(ゆきのうら)ダム(西海市の旧大瀬戸町),神浦(こうのうら)ダム(長崎市の旧外海町)が建設され,1981年には松島火力発電所が完成するなど,開発が進んでいる。一方,東海岸も国道206号線の整備と西海橋の建設(1955)によって長崎・佐世保両市を結ぶ重要交通路となり,住宅地化も進行している。美しい海岸と山地によって西半部は西彼杵半島県立自然公園に,東海岸は大村湾県立自然公園に指定されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西彼杵半島」の意味・わかりやすい解説

西彼杵半島
にしそのぎはんとう

長崎県西部,角力灘(五島灘の一部)と大村湾の間にある半島。北は佐世保湾に面する。北部は北松溶岩台地に属するが,大部分は標高 500m前後のゆるやかな起伏の古第三紀の山地。開発は遅れ,サツマイモの栽培が主であったが,第2次世界大戦後開拓者が多く入植し,山頂部を縦貫する開拓道路もできた。東の湾岸部はリアス海岸で,真珠養殖が行なわれる。北端の佐世保市と結ぶ西海橋の開通により,これに続く国道206号線の利用も活発化し,沿道にはバイオパークなどが建設され,観光開発も進んでいる。湾岸の一部は大村湾県立自然公園に,西海岸と高原の一部は西彼杵半島県立自然公園に属する。

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世界大百科事典(旧版)内の西彼杵半島の言及

【長崎[県]】より

対馬壱岐五島列島などの島嶼が県の総面積の45%を占め,常住者のいる島は80,いない島は490を数える。本土側は北松浦半島肥前半島西彼杵半島長崎半島島原半島が,手の指のごとく分岐する。島嶼部,半島部はいずれも沈水性のリアス式海岸が発達し,湾入が著しい。…

※「西彼杵半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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