出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長崎市北部から佐世保(させぼ)市に向って突出する半島。東は大村湾、西は角力灘(すもうなだ)に面する。長崎市、西海市(さいかいし)が立地する。半島の大半は結晶片岩の古生層によって構成され、標高400メートル内外の隆起準平原をなす。北部だけは標高200メートル内外の玄武岩台地である。中央部の準平原面上には、第二次世界大戦後の開拓地が散在し、開拓道路が山頂部を南北に縦貫しており、「県民の森」や「神ノ浦(こうのうら)ダム」「雪ノ浦(ゆきのうら)ダム」の施設を有する。古くからイノシシの生息地で、イノシシの侵入を防ぐ石積みによる「猪垣(いがき)」の遺構があり、現在もイノシシによる、イモ、ムギの被害は絶えない。半島の東岸はリアス海岸で真珠養殖が盛ん。1955年(昭和30)伊ノ浦(いのうら)瀬戸(針尾瀬戸)に西海橋が完成。また、国道206号が整備され、佐世保や長崎市中心市街地への交通も便利となり、ミカン、スイカなどの換金作物の栽培が進捗(しんちょく)している。半島の西海岸は断層起源の海食崖(がい)が連続しているため道路の開発が遅れたが、現在は国道202号が海岸沿いに通じる。旧大村藩の西域にあたりキリシタン集落も多い。出津(しつ)や黒崎(くろさき)の教会は、付近の自然景観とともに崇高・敬虔(けいけん)な雰囲気を漂わせている。さらに、西方海上の松島(まつしま)は旧藩時代の捕鯨基地として知られたが、大正・昭和時代は大(おお)島、崎戸(さきと)島、池島とともに海底炭田の島として繁栄した。現在離島炭田は閉山している。北部の台地は畑作地帯で、中世末の開港場、横瀬(よこぜ)浦がある。
[石井泰義]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
長崎県西部,長崎市から北へ突き出した南北約40km,東西約20km(最広部)の半島。東は大村湾,西は五島灘,北は佐世保湾に面し,胴体部をなす西彼(せいひ)山地,東部と北西部の丘陵地,そして北部の溶岩台地に区分できる。西彼山地は黒色の結晶片岩からなる標高400m前後の隆起準平原で,飯盛山(531m),焼山(416m)などは準平原面上の残丘である。北部の玄武岩からなる溶岩台地は標高200m前後で,中央の虚空蔵(こくぞう)山(307m)は台地上に噴出した火山砕屑丘である。西海市の旧西海町の七釜(ななつがま)には,海成の第三紀層中の多量の石灰藻化石を含む砂岩層が溶食されてできた七釜鍾乳洞が発達。洞内には小規模ながら,石柱,鍾乳石,石筍(せきじゆん)などの石灰岩地形がみられる。また旧西海町を基点に江戸時代に造られた猪垣(ししがき)が,今も尾根伝いに延々約60kmにわたって残されている。西海岸は海食崖が発達した岩石海岸で,道路整備が遅れ,長崎あるいは佐世保からの沿岸航路に頼る陸の孤島であったが,今では国道202号線が走り,雪浦(ゆきのうら)ダム(西海市の旧大瀬戸町),神浦(こうのうら)ダム(長崎市の旧外海町)が建設され,1981年には松島火力発電所が完成するなど,開発が進んでいる。一方,東海岸も国道206号線の整備と西海橋の建設(1955)によって長崎・佐世保両市を結ぶ重要交通路となり,住宅地化も進行している。美しい海岸と山地によって西半部は西彼杵半島県立自然公園に,東海岸は大村湾県立自然公園に指定されている。
執筆者:竹内 清文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…対馬,壱岐,五島列島などの島嶼が県の総面積の45%を占め,常住者のいる島は80,いない島は490を数える。本土側は北松浦半島,肥前半島,西彼杵半島,長崎半島,島原半島が,手の指のごとく分岐する。島嶼部,半島部はいずれも沈水性のリアス式海岸が発達し,湾入が著しい。…
※「西彼杵半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加