DōstMuḥammad(その他表記)DostMuhammad

世界大百科事典(旧版)内のDōstMuḥammadの言及

【アフガニスタン】より

…しかし王としての彼の権威は,個人的能力と,ドゥッラーニー諸族長の勢力の均衡に頼るものであった。19世紀に入ってドゥッラーニー内部の勢力争いの結果,バーラクザイBārakzaiがサドーザイに代わって統治権を得,1826年,ドースト・ムハンマドDōst Muḥammad(1793‐1863)が王となった。以後のアフガニスタンの王位は,彼の家系が継承することになり,彼の名をとってムハンマドザイ(またはバーラクザイ朝)と呼ばれる。…

【バーラクザイ朝】より

…1826‐1973年。アフガニスタンの建国者アフマド・シャー・ドゥッラーニーの出たサドーザイとは別の家系であり,ここからドースト・ムハンマドDōst Muḥammad(在位1826‐39,43‐63)が出て,サドーザイと抗争ののち,1826年,アフガニスタンの支配権を掌握した。彼の後,ムハンマド・アフザル,アブドゥル・ラフマーン,ハビーブッラー,アマーヌッラーAmānullāh(在位1919‐29)と王位が父子相伝され,アフガニスタンの国家形成に貢献した。…

※「DōstMuḥammad」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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