日本大百科全書(ニッポニカ) 「イフシード朝」の意味・わかりやすい解説
イフシード朝
いふしーどちょう
Ikhshīdids
935年にムハンマド・ブン・トゥグジュがアッバース朝から実質的に独立して建てたエジプトの王朝。939年にムハンマドはアッバース朝からイフシードという称号を与えられた。王朝名はそれにちなんでいる。このムハンマドは中央アジア出身のトルコ人マムルークの孫で、父もアッバース朝に仕える軍人であった。ムハンマドは933年にアッバース朝によりエジプト知事に任命されたが、2年後には実質的に独立し、のちにはシリアやヒジャーズ地方をも版図に加えた。彼の没(946)後は、息子のアヌージュールとアリーが後を継いだが、実際の権力はアビシニア人宦官(かんがん)のカーフールが握った。カーフールは、北アフリカのファーティマ朝やジャジーラ(ティグリス、ユーフラテス川に囲まれたステップ地帯)、シリア北部のカルマト派やハムダーン朝の勢力からイフシード朝の領域を守り、同朝の繁栄期を築いた。きわめて高品位の金貨の発行がこの繁栄をよく示している。またこの時代には学芸が奨励され、有名な詩人ムタナッビーもカーフールをパトロンとしていた。カーフールの死(968)後アリーの子アフマッドが後を継いだが、その翌年にはジャウハルの率いるファーティマ朝遠征軍が侵入し、滅亡した。
[湯川 武]