アブームスリム(その他表記)Abū Muslim

改訂新版 世界大百科事典 「アブームスリム」の意味・わかりやすい解説

アブー・ムスリム
Abū Muslim
生没年:?-755

ホラーサーンにおけるアッバース朝革命の指導者。アッバース家のイブラーヒームIbrāhīm b.Muḥammad(701・702-749)によって秘密の宣伝者(ダーイー)として派遣され,ウマイヤ朝打倒運動を指導,747年メルブ武装蜂起し,革命軍を西進させてウマイヤ朝軍を粉砕した。その功によりホラーサーン総督となったが,その在任中の751年,中央アジアのタラスで唐の大軍を破り,いっそう名声をあげた。しかし,彼の勢力伸張を恐れた第2代カリフマンスールによって暗殺された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アブームスリム」の意味・わかりやすい解説

アブー・ムスリム
Abū Muslim

[生]?
[没]755. バグダード
アッバース家 (→アッバース朝 ) の革命運動の指導者。出身本名もあえて秘密にしていた。ホラーサーンの地で反ウマイヤ家,親ハーシム家の秘密運動を組織し,747年6月 15日黒旗を掲げて蜂起した。 749年ウマイヤ朝軍隊殲滅してアブル・アッバースがカリフを宣言したのちはホラーサーン総督の地位にあったが,彼の勢力伸長を恐れた第2代カリフのマンスールによって謀殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブームスリム」の意味・わかりやすい解説

アブー・ムスリム
あぶーむすりむ
Abū Muslim
(?―755)

イラン北東部ホラサーンにおけるアッバース朝革命の指導者。ウマイヤ朝末期、アッバース家のイブラヒームによって派遣され、ウマイヤ朝打倒の地下運動を指導、747年マルウ(メルブ、現在名マリー)近郊武装蜂起(ほうき)し、革命軍を西進させてウマイヤ朝軍を粉砕した。その功によりホラサーン総督となり、751年には中央アジアのタラス川で唐軍を破った(タラス川の戦い)。しかし彼の勢力増大を恐れた第2代カリフ、マンスールによって暗殺された。

森本公誠

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のアブームスリムの言及

【ウマイヤ朝】より

…在位724‐743)の国家再建策も効を奏せず,同朝は崩壊への道を進んだ。747年アッバース家の宣伝者(ダーイー)アブー・ムスリムは,ホラーサーンのメルブで挙兵し,次いで749年,サッファーフはクーファでカリフを宣した。750年マルワーン2世が逃亡先の上エジプトで殺され,ウマイヤ朝は滅んだ。…

【本】より

…皮表紙の場合でも,鋭利な道具で文字や図案を切り刻むのと,鈍い道具で型押しするのと二つの方法があり,中世では主として前者が用いられ,9世紀に作られた〈フルダの福音書〉などはその代表的作例であるが,これも時代がくだるにつれ工芸的には堕落している。
[ルネサンス以後]
 中国で発明された紙は,玄宗の天宝10年(751)唐がアッバース王家のアブー・ムスリムに敗れたのを契機として,サマルカンドやバグダードに伝わり,13世紀ついにイタリアやスペインにはいった。これが書物の形態を規定し,活字印刷術の発明が中世冊子本の普及を可能にした。…

※「アブームスリム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android