FayṣalI(その他表記)FaysalI

世界大百科事典(旧版)内のFayṣalIの言及

【アラビア半島】より

… 24年,ムハンマド・ブン・サウードの孫のトゥルキー(在位1824‐34)は,エジプト軍守備隊からリヤードを奪還し,第2次ワッハーブ王国が再建された。その子ファイサル1世Fayṣal I(在位1834‐38,43‐65)は,一時オスマン帝国によってカイロに幽閉されるが,43年に牢獄を脱出して復位し,半島の中・東部にその支配を広げた。1839年にアデンを占領(1937年直轄植民地)したイギリスは,1835年以降ペルシア湾沿岸とアデン東方の群小首長国と条約を結んで保護下に置いていたが,北部ナジュドのハーイルの族長イブン・ラシードを後援し,91年,第2次ワッハーブ王国はイギリスとオスマン帝国の援助を受けたラシード家によって滅ぼされ,サウード家の一族はクウェートへの亡命を余儀なくされた。…

※「FayṣalI」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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