ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮廷風恋愛」の意味・わかりやすい解説
宮廷風恋愛
きゅうていふうれんあい
amour courtois
「宮廷風恋愛」という語は,12,13世紀の作家自身によって使われることはなかった。 1883年フランス文献学者によって使われるようになった。アーサー王の配下にある「円卓の騎士」の中でもっともすぐれた騎士,ランスロの王妃グニエーブル Gunièvreへの絶対的な愛 (恋愛至上主義に貫かれているが,不倫) を名指してのものであった。中世の作家たちがこの現象を示すのに用いた名称は,「至上の愛」 fin'amour (finとは,完全な,もっとも洗練されたの意味) であった。未婚の女性は対象外であるし,婚姻 (政略上の方便) はここで批判され,人間関係を律する封建制度の枠内で感性や情念も律せられる時代精神を反映している。したがって,「情熱恋愛の神話」といわれる『トリスタンとイズー』は,騎士トリスタンと伯父の妃イズーとの不義が問題であるにしても,平等原理に立ち,厳密には「宮廷風恋愛」とは別系であり,さらに普遍的性格をもつといえよう。
12世紀前半の南フランスの詩人たちトルバドゥールでは,「愛」が擬人化され,恋する者はみずから「青春」という擬人化と同一視し,至福と試練 (擬人化「告げ口」など) のはざまに常にあった。最初のすぐれたトルバドゥール,アキテーヌ公ギヨーム9世の孫娘アリエノール Aliénore d'Aquitaineがフランス王ルイ7世との結婚 (1137) ,ついで離婚 (52) と同年の再婚 (プランタジネット朝のヘンリー2世) の結果,時代を代表する文芸擁護者アリエノール Aliénore d'Aquitaineの宮廷と南フランスの先進的文化が北上することとなった。これは現在の英仏におけるフランス語の移植と文学の伝播を意味し,2人の王との間の子供たちも北フランス語詩人たちトルベール trouvèreの擁護に力を注いだ (印刷術の発明以前,この役割の重要性は高い) 。トルバドゥールの叙情詩の青春は騎士=若者のイメージと重なり,武道と同時に精神的向上 (恋愛は人間関係の至上の形式) を目指すことが要請される土壌が培われて,ロマンスの重要なテーマとなる。「宮廷風恋愛」はフランス文化の普及であり,約 20年後にはドイツなどヨーロッパ的スケールで同一現象が 12,13世紀に集中して観察される。これは文学の実生活への影響 (想像界の現実支配) という観点からもみられるべきであろう。文学以外に証言を求めることが困難なため,「宮廷風恋愛」の存在を否定する見解もあるが,行過ぎとみるべきであろう。
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