世界大百科事典(旧版)内のIbrāhīmb.Muḥammadの言及
【アブー・ムスリム】より
…ホラーサーンにおけるアッバース朝革命の指導者。アッバース家のイブラーヒームIbrāhīm b.Muḥammad(701∥702‐749)によって秘密の宣伝者(ダーイー)として派遣され,ウマイヤ朝打倒運動を指導,747年メルブで武装蜂起し,革命軍を西進させてウマイヤ朝軍を粉砕した。その功によりホラーサーン総督となったが,その在任中の751年,中央アジアのタラスで唐の大軍を破り,いっそう名声をあげた。…
【サッファーフ】より
…ムハンマドの叔父アッバースの子孫。打倒ウマイヤ朝のアッバース家運動を指導していた兄イブラーヒームIbrāhīm b.Muḥammad(701∥702‐749)が殺された後,749年クーファに入城した革命軍の推戴を受けてカリフ位につき,翌年ザーブ河畔でウマイヤ朝軍を破り,さらにカリフ,マルワーン2世を殺してとどめを刺した。続いてシーア派の弾圧に転じ,アッバース家の権威を確立した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」