アブラハム(読み)あぶらはむ(英語表記)Karl Abraham

デジタル大辞泉 「アブラハム」の意味・読み・例文・類語

アブラハム(Abraham)

《多くの人々の父の意》旧約聖書に記されるイスラエルの民の祖。コーランでは、アラブ族の祖。初めアブラムと称した。

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精選版 日本国語大辞典 「アブラハム」の意味・読み・例文・類語

アブラハム

  1. ( Abraham ) 「旧約聖書‐創世記」に出てくるイスラエル民族の始祖。「信仰の父」と呼ばれる。前名アブラム。イサクの父。神の命でカナンの地に行き、神と契約を結んだ。神がアブラハムの信仰を試みるため、イサクを犠牲としてささげることを命じた時、アブラハムは神の命令に従ったので、神はイサクの命を救った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブラハム」の意味・わかりやすい解説

アブラハム(Karl Abraham)
あぶらはむ
Karl Abraham
(1877―1925)

ドイツの精神分析家、精神科医。ブレーメンに生まれる。初めベルリンで、のちにチューリヒのオイゲン・ブロイラー、カール・グスタフ・ユングのもとで精神医学を修める。ブロイラーの精神科教室のあったチューリヒのブルクヘルツリー療養所でフロイトの著作に親しみ、1907年にベルリンで精神分析家として開業し、翌1908年ベルリン精神分析協会を創立、1910年にはベルリン精神分析研究所を創設した。第一次世界大戦中は精神科医療班の医長として動員される。1918年および1925年には国際精神分析協会(IPA:International Psychoanalytical Association)の会長を務めた。精神分析の第二世代(フロイト自身の分析を受けた第一世代に対して、第一世代の分析家による分析を受けた世代をさす)の中心的な教育分析家(分析家を養成するための分析を行う分析家)であり、彼の教育分析を受けた分析家には、ヘレーネ・ドイッチュHelene Deutsch(1884―1982)、エドワード・グローバーEdward Glover(1888―1972)、カレン・ホーナイ、メラニー・クライン、テオドール・ライクTheodor Reik(1888―1969)らがいる。さらに精神分析の歴史のなかでは、アブラハムは、フロイトが直近の弟子たちを集めた「秘密委員会」のメンバーであったことや、彼を中心として成立したベルリンのグループが分析家の養成制度の確立に重要な役割を果たしたことが知られている。

 アブラハムの精神分析理論におけるおもな貢献としては、「リビドー発達の前性器期最早期の検討」Untersuchungenüber die früheste prägenitale Entwicklungsstufe der Libido(1916)を中心とした早期リビドー発達論がまずあげられる。彼は幼児期におけるリビドー(性欲)の存在を主張しその発達段階を区別するフロイトのリビドー発達論を踏まえつつ、その最初期の段階を特徴づける口唇を介した対象との関係が、吸うことと噛(か)むことという二面性を持つことを指摘し、そこから発する体内化と破壊という両価的関係(アンビバレンツ)に基づいてメランコリーの病因を考えた(「精神障害の精神分析に基づくリビドー発達史の素描」Versuch einer Entwicklungsgeschichte der Libido auf Grund der Psychoanalyse seelischer Störungen(1924))。こうした発達の初期における対象との関係をめぐる議論は、クラインを介して、母子関係に注目するイギリスの対象関係論により継承・発展させられた。精神分析の精神病への応用の分野では、リビドー論的な観点から、対象愛以前の自体愛の段階における発達の制止により早発性痴呆を特徴づけた「ヒステリーと早発性痴呆の性=心理的差異」Die psychosexuelle Differenz der Hysterie und der Dementia Präcox(1908)がある。また応召時の経験に基づく戦争神経症の研究のほか、応用精神分析の領域では、フロイトの手法を集合的表象としての神話や民話の理解に活用した『夢と神話』Traum und Mythus(1909)がある。

[原 和之]

『下坂幸三他訳『アーブラハム論文集――抑うつ・強迫・去勢の精神分析』(1993・岩崎学術出版社)』『Traum und Mythus; eine Studie z. Volkerpsychologie(1909, Deuticke, Wien)』


アブラハム(旧約聖書)
あぶらはむ
Abraham

『旧約聖書』の「創世記」に記されているイスラエル人の始祖(ヘブライ語で'abrāhām)。彼は神の命令と約束に従って、バビロニアの地から北シリアを通ってパレスチナの地に移住した小家畜を飼育する氏族の長である。定住後も先住民や近隣諸国との摩擦を起こすが、最終的にはつねに約束の神を信じて平和を得る。高齢になって嗣子(しし)イサクを神から与えられ、平安のうちにヘブロンの地に葬られる。このような物語はなんらかの歴史的事実に基づいていると考えられる。イスラエル人の祖先の紀元前二千年紀中葉の生活がここに反映しているのであろう。

 さらにこの物語は、パレスチナの土地授与と子孫増加の約束を伴う神によるイスラエルの選びの物語として、後のユダヤ人の心の支えともなり、また今日ではユダヤ人によるパレスチナ占有の正当化の理由づけにもされている。他方、イスラム教の伝統(コーラン)においても、アブラハム(イブラヒム)は、彼らの父祖として尊ばれている。キリスト教では神の約束にのみ信頼を置いて、旅人として歩むアブラハムの姿のなかに、信仰者の生き方の模範をみいだそうとする。

[月本昭男]

『関根正雄訳『創世記』(岩波文庫)』『R・ドゥ・ボー著、西村俊昭訳『イスラエル古代史――起源からカナン定着まで』(1977・日本基督教団出版局)』


アブラハム(Max Abraham)
あぶらはむ
Max Abraham
(1875―1922)

ドイツの物理学者。ポーランドグダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)の商家に生まれる。ベルリン大学のプランクのもとで学び、1897年学位を取得、1900年ゲッティンゲン大学私講師となった。その後アメリカのイリノイ大学教授にごく短期間ついたのち、1909年ミラノ大学理論物理学教授となった。第一次世界大戦中はドイツに戻り、テレフンケン社(のちにAEG社に吸収)で電波通信について理論的研究を行い、終戦後、シュトゥットガルト工科大学教授になった。脳腫瘍(のうしゅよう)のためミュンヘンの病院で没した。1902年ごろから、電子の質量は電子の電荷と電磁場との相互作用に還元されるという電磁質量の概念を提出し、究極的には力学も電磁気学によって基礎づけられるとする電磁的自然観の可能性を展望した。この考えは、1906年のカウフマンの実験によって確証されたと彼は考えたが、やがてより精密な実験で反証され、質量の速度依存性も相対性理論によって正しく説明されることが判明した。彼の著した優れた教科書『電気の理論』Theorie der Elektrizität2巻(1904~1905)は、ベクトル記法の普及にも大きく貢献した。

[杉山滋郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「アブラハム」の意味・わかりやすい解説

アブラハム
Abraham

古代イスラエル民族の伝説的な父祖。ノアから10代目に当たり,イサクの父。旧約聖書《創世記》12~25章での伝承によれば,はじめはアブラムAbramと呼ばれていたが,後にアブラハムと神の命令で改名された。この名は〈父は高められる〉を意味したと思われるが,伝承では民間語源的に〈多くの国民の父〉と解され,また意味づけられている。《創世記》の叙述に従えば,アブラハムの父の一家は,ユーフラテス川下流域に比定されるカルデアの町ウルを出て,シリア北部の町ハランに移動し,アブラハムは神の命令を受けてその町で親族と別れ,妻サライSarai(後にサラSarahと改名)および彼に同行した甥のロトとともに神の示す地カナンに着いた。この地でロトと生活圏を分けた後,アブラハム一家はヘブロン付近で過ごしたが,飢饉のためにエジプトに下って難を逃れるなどの苦労を重ねた。アブラハムはヤハウェ資料によれば牧羊を営む族長として描かれ,エロヒム資料では預言者,また祭司資料では高貴な商人の姿が重ねられている。アブラハムには,子孫が国民を形成するという約束が神より与えられていたが,約束の子がサライに生まれたとき,アブラハムは100歳で,サライは90歳であったという。後日,アブラハムは神の試練として,このひとり子のイサクを燔祭(はんさい)としてささげるようにとの命令を受けたとき,それに服する姿勢を示して,その信仰のあつさを認められた。アブラハムは〈信仰の父〉として,新約聖書においても尊敬をもって想起されている。
執筆者:

アブラハムは,コーランではアーザルの息子イブラーヒームIbrāhīm b.Āzarと呼ばれ,モーセに次いで2番目に多くその名を記されている。コーランはアブラハムについて,およそ次のように記す。彼は一神教の信仰がきわめてあつく,息子(名を挙げず)を犠牲として神にささげようとして神にあがなわれ,父親を含む同胞の偶像崇拝を厳しく非難して対立し,息子のイサクとヤコブ(旧約聖書では孫)とを連れて父のもとを去ったとして,彼がメッカを訪れたことを示唆する。アブラハムはメッカにおいて,息子イシュマエルとともにカーバを建設してアッラーに献上し,彼の子孫の一人を使徒として遣わすことを祈念した。その証拠に,カーバにはアブラハムの立ち所maqām Ibrāhīmをはじめ明白なしるしがあるとコーランは述べるが,このアブラハムの立ち所は現在もカーバのかたわらにある。アブラハムが信仰したのは,ユダヤ教でもキリスト教でもない純粋の一神教,アブラハムの宗教milla Ibrāhīmで,彼はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもない純粋の一神教徒ハニーフであり,絶対的に神に服従する者ムスリムである。このようにしてコーランは,預言者ムハンマドの説いたイスラムはユダヤ教やキリスト教の模倣ではなく,イエスやモーセよりはるかに古い純粋の一神教徒アブラハムの宗教の復活であることを力説する。

 後世の伝承はアブラハムに関する多くの物語を発展させたが,その中心は彼のカーバ建設と巡礼の儀礼,ならびにコーラン2章258節に〈彼と論争した例の男〉と記されたニムルドとの戦いについてである。もちろん,アブラハムとニムルドとの戦いは旧約聖書にみえずイスラム教徒の創作であるが,後世のユダヤ教徒のラビ文献にも取り入れられた。
執筆者:


アブラハム
Karl Abraham
生没年:1877-1925

ドイツの精神分析医。はじめスイスのブロイラーに師事し,ユングらと一緒に学んだ後,S.フロイトと親交を結び,1907年ベルリンで開業してドイツで最初の精神分析医となった。10年には,やがて国際精神分析運動の中心となったベルリン精神分析学会を設立,ホーナイ,グローバーE.Glover,M.クラインらの教育分析を行った。主な業績は,リビドー発達,性格形成,分裂病(統合失調症),躁うつ病,薬物嗜癖などの研究にあり,人類学や神話学や芸術の分野にも及んでいる。彼は精神分析運動の分派抗争の中で,その優れた判断力と中庸を守る性格によって,フロイトの良き片腕として精神分析の発展に貢献したが,活動の半ばで惜しくも他界した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アブラハム」の意味・わかりやすい解説

アブラハム
Abraham

イスラエル民族(→イスラエル)の祖。旧約聖書における最初の「ヘブル人」(創世記 14・13)。元の名は「アブラム」。アブラハムは神のことばに従って繁栄せる故郷カルデアのウルと親族を捨て,行く先も知らぬ危険な遊牧の旅に出る(創世記 12・1~4)。神はアブラハムを諸国民の父,子を産めない妻サライ(のちにサラと改名。→サラ)を国々の民の母とするという約束を守って,100歳と 90歳の二人にイサクを与えた。このイサクを通してアブラハムに対する神の約束は成就するが,『創世記』22章のモリヤの山上におけるイサクの燔祭の物語では,神は最も緊張したかたちでアブラハムの信仰を試みた。こうして神は彼の絶対的信仰,全的忠誠のあかしをみて契約を結ぶにいたった。「アブラハムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」(創世記 15・6)の一句が端的にそれを表している。アブラハムは信仰の父としてキリスト教ユダヤ教イスラム教を通じて重んじられ,新約聖書では「信仰による義」の典型として『ローマ人への手紙』4章,『ガラテヤ人への手紙』3章や,そのほかの個所にたびたび現れる。神への絶対的信仰に貫かれたその生涯は 175歳で終わり,ヘブロン(ハリール)のマクペラの洞穴に葬られた。

アブラハム
Abraham, Max

[生]1875.3.26. ダンチヒ(現グダニスク)
[没]1922.11.16. ミュンヘン
ドイツの理論物理学者。 M.プランクのもとで学び,1897年学位を得た。ゲッティンゲン大学私講師 (1900~08) を経て,ミラノ大学の理論物理学教授をつとめた (09~14) 。 1902年,電子の全質量は電子の電磁的エネルギーによるもので,それ以外の力学的質量はないという剛体電子論を提唱するなど,電磁気理論の改革を試みた。アインシュタインの相対性理論に対しては終生消極的であった。彼の著わした教科書『電気理論』 Theorie der Elektrizitätは広く用いられた。

アブラハム
Abraham Ibn Daud

[生]1110頃
[没]1180頃
スペイン,トレドのユダヤ人の史料編修者,哲学者。歴史に関する著作には,1161年までの編年史である『伝統の書』 Sefer ha-Qabbalahがある。彼の哲学はヘブライ語の表題"Emunah Ramah" (崇高なる信仰) で知られているアラビア語で書かれた著作のなかに述べられている。アリストテレスの体系を受入れた最初のユダヤ人学者の一人であったが,彼の著作はやがてマイモニデスの著作の前に光彩を失って大きな影響を与えるにはいたらなかった。

アブラハム[ナルボンヌ]
Abraham ben Isaac of Narbonne

[生]1110頃.モンペリエ
[没]1179. ナルボンヌ
ラビ・アバドとしても知られるプロバンス地方のタルムード主義の中心的指導者。律法学の権威者の一人。イサク・メルバン・ハレビに師事し,のちにバルセロナで学ぶ。特にスペインの伝統をプロバンスに取入れ,フランス北部へ伝える重要な役割を果した。彼は多くの問答書を収集したが,いくつかのものは近年刊行されている。タルムードについての解説書もある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アブラハム」の解説

アブラハム
Abraham

イスラエル民族の父祖。前18世紀頃のカルデア(南メソポタミア)のウルの人。召命により故郷を出て,北シリアのハランをへてカナーンへ移住。生涯は旧約聖書の「創世記」に詳しい。現在ユダヤ教,キリスト教,イスラームで「信仰の父」とされる。

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百科事典マイペディア 「アブラハム」の意味・わかりやすい解説

アブラハム

旧約聖書中の人物。イスラエル民族の伝説的な父祖で,その名は〈多くの国民の父〉の意と解される。イサクの父。カルデアのウルに生まれ,約束の地カナンにおもむき,子孫の繁栄を神に約されて,妻サライ(サラ)との間にイサクをもうけた。イサクを犠牲に供せんとするアブラハムの試練は有名。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アブラハム」の解説

アブラハム
Abraham

イスラエル人の伝説上の始祖で,信仰の父
『旧約聖書』の「創世紀」にその生涯が記載され,古来より信仰厚い人の典型として『新約聖書』にも引用されている。

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367日誕生日大事典 「アブラハム」の解説

アブラハム

生年月日:1875年3月26日
ドイツの理論物理学者
1922年没

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世界大百科事典(旧版)内のアブラハムの言及

【イスラエル】より

…これにより,前13世紀に,イスラエル人がカナン(のちのパレスティナ)にいたことが確かめられる。他方,旧約聖書によると,民族の起源は,それより4,5世紀前に,ヘブライ人アブラハムがメソポタミア地方からカナンへ移住して来た事件に求められる。遊牧民アブラハムは,のちにイスラエルの神になったヤハウェから,彼の子孫にカナンの地を与えると約束された(〈アブラハム契約〉)。…

【カーバ】より

…ムスリムは日に5回の礼拝を全世界からカーバに向かって行い,巡礼(ハッジュとウムラ)をカーバ目指して行う。コーランではカーバの建設者はアブラハムとその子イシュマエルとされている。伝承によれば,ムハンマドの青年時代のカーバは,高さは人の背丈ほどで屋根もなかったが,火事で焼け落ちたので,ほぼ現在の形に建て直されたという。…

【ハニーフ】より

…〈真の宗教の信徒〉を意味するアラビア語。〈真の宗教〉とは唯一絶対神アッラーに帰依することで,コーランはアブラハムがハニーフであったことを強調する。すなわち,アブラハムは偶像崇拝者ではなくハニーフであり,また,ハニーフではあってもユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった,と述べている。…

【メッカ】より

… ただしイスラム教徒にとってのこの町の重要性を知るためには,時代をイスラム以前にさかのぼる必要がある。古いアラブの伝承によれば,預言者イブラーヒーム(アブラハム)の生涯はこの地域ととりわけ深い関係をもっている。神の唯一性についての認識をいちだんと深めたとされるこの預言者は,イスラムにおいては特別の尊敬の対象となっているが,そもそもカーバの建設にあたったのは,ほかならぬイブラーヒームであったといわれている。…

【ユダヤ教】より

…したがって,まず民族史を語らずにユダヤ教を説明することはできない。
【歴史】

[古代イスラエル時代]
 前2千年紀初頭に,神に選ばれたヘブライ人アブラハムが,カナン(のちのパレスティナ)へ移住したできごとによって,ユダヤ民族の前史は始まる。遊牧民アブラハムは,彼の子孫にカナンの地を与えるという神の約束を受けた(〈アブラハム契約〉)。…

【預言者】より

…ここでは預言の意味を深め,また長期にわたって預言活動の続いた古代イスラエルに問題をしぼって,預言者の問題をたどる。 古代イスラエルの思想史的発展の記録である旧約聖書では,すでに最も古いいわゆる族長アブラハムを預言者と呼んでいる個所があるが(《創世記》20:7),狭義の預言者は一定の社会史的条件のもとに登場し,活動したもので,その点で広義の預言者的ということと区別したい。モーセに預言者的要素が強いことは彼についての旧約聖書の記述にさかのぼり,歴史的に考えてもある程度にこれを認めうる。…

【口唇期】より

…この時期は,対象を体の中にとり入れてゆく時期であるために,フロイトは〈食人的〉であるとも形容しており,この体内化incorporationが人間の心的機制としての同一化identificationの原形をなしている。さらにK.アブラハムは,口唇期の中に,後期の歯の発育に呼応する〈口唇サディズム期oral sadistic stage〉をとり出した。この時期は単に対象をとり入れるだけではなく,心理的には対象を攻撃し破壊するという関係が生じる。…

【サディズム】より

…広義には性的満足は伴わなくても,残酷さの中に喜びを見いだす傾向は広くサディズムとみなされる。S.フロイトならびにK.アブラハムの精神分析的人格発達理論においては,乳児が母親の乳房をかむことに満足を感じる時期(口唇サディズム期oral‐sadistic stage)および幼児が親の意に反抗して大便を貯溜したり排泄したりすることに満足を感じる時期(肛門サディズム期anal‐sadistic stage)にこの用語をあてている。このように精神分析的発達理論においてはサディズムなる概念は人間に普遍的な現象に対して用いられ,何ぴともこれを通過していくものとみなされている。…

【精神分析】より


[精神分析運動]
 フロイトの精神分析は,性的要因の強調やフロイトがユダヤ人であったことなどから,憤激と嫌悪の的となったが,それでも1908年にはザルツブルクで最初の国際精神分析学会が開かれ,機関誌も刊行されはじめた。そして,10年にはK.アブラハムによってベルリン精神分析学会(研究所)が開設され,さらにロンドン,ウィーン,ブダペストにも学会ができた。またドイツ語圏だけでなくアメリカにも急速に受け入れられ,31年にはニューヨーク,シカゴにも学会が開かれた。…

※「アブラハム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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