世界大百科事典(旧版)内のLützenの言及
【グスタブ[2世]】より
…とくに,1631年9月7日のブライテンフェルトBreitenfeldの戦における名将ティリー指揮下のカトリック軍にたいする勝利は,それまでカトリック・皇帝軍側に圧倒的に有利だった全戦局を転換させた。皇帝はワレンシュタインを再起用し,リュツェンLützenの会戦はスウェーデン軍が優勢だったが,グスタブ2世は戦死した。 グスタブ2世の政治,戦争は,絶対主義的な重商主義政策によるもので,バルト帝国の完成に対応して内政でも,宰相オクセンシェーナのもとに国制整備と商工業振興がはかられた。…
【ワレンシュタイン】より
…1625年神聖ローマ皇帝軍総司令官に任命され,新教派軍撃破の原動力として活躍したが,旧教派諸侯の圧力によって30年罷免された。スウェーデン王グスタフ・アドルフ(グスタフ2世)のドイツ侵入とともに再度起用されたが,32年リュッツェンLützenの戦でアドルフを戦死させたが戦いには敗れ,以後ひそかに新教派と和平交渉を行ったため,皇帝の刺客によって暗殺された。ワレンシュタインの激動の生涯については,シラーの戯曲によって広く知られるところとなっている。…
※「Lützen」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」