ワレンシュタイン(読み)われんしゅたいん(英語表記)Albrecht Wenzel Eusebius von Wallenstein

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワレンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

ワレンシュタイン
Wallenstein, Albrecht Wenzel Eusebius von

[生]1583.9.24. ボヘミア,ヘジュマニツェ
[没]1634.2.25. ボヘミア,ヘバ
ボヘミアの軍人。ボヘミア名ワルトシュテイン Valdšteina。ボヘミアのルター派小貴族の出身。のちカトリックに改宗三十年戦争発端となったボヘミアの反乱鎮圧に武将として活躍。早世した妻の遺産や,功によって神聖ローマ皇帝フェルディナント2世から与えられた鋳貨特権を活用して,没収されたボヘミア新教貴族の所領を買い集め,ボヘミア東北部に大領地を建設。 1623年フリートラント侯として帝国諸侯身分を得た。 25年自己資本で徴募し,みずから統率する大傭兵軍を皇帝に提供,これ以後,J.ティリーとともに三十年戦争における皇帝・旧教軍の最も有力な将軍として活躍した。その政治的野心を恐れるバイエルン公らの策動で,30年にいったん罷免されたが,スウェーデン王グスタフ2世 (グスタフアドルフ) の参戦によって再び起用され,リュッツェンの戦いでスウェーデン軍に敗れたが,グスタフ2世を陣没させた。その後,独自に新教諸侯側との和平交渉を進めるなど,専断的な行動が目立ったので,皇帝の刺客の手で暗殺された。企業家的精神と軍事的才幹が結びついたまれにみる大傭兵隊長で,彼の実施した軍税は,三十年戦争ののち,ブランデンブルクなどの絶対主義的君主の新しい租税制度のモデルとなった。またシラーによって傭兵隊長の典型として描かれ,著名となった。

ワレンシュタイン
Wallenstein

ドイツの劇作家,詩人シラー悲劇。『ワレンシュタイン陣営』 Wallensteins Lager (1798) ,『ピッコロミーニ父子』 Die Piccolomini (99) ,『ワレンシュタインの死』 Wallensteins Tod (99) から成る3部作。この劇の背景にはシラーが大学で講義するかたわら研究した『三十年戦争史』 Geschichte des dreissigjährigen Krieges (91~93) の成果がみられ,三十年戦争に活躍した武将ワレンシュタインの運命を描いている。古代ギリシアの運命劇とシェークスピア史劇,さらに近代ゲルマンの性格劇に基づいて,壮大なドイツ悲劇の創造に成功した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワレンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

ワレンシュタイン(シラーの戯曲)
われんしゅたいん
Wallenstein

ドイツの劇作家シラーの戯曲。1800年出版。三十年戦争の際の皇帝軍の総指揮官ワレンシュタイン公(1583―1634)の反逆没落を描いた三部作の韻文悲劇。悲劇はまず第一部「ワレンシュタインの陣営」(全一幕)において、主人公が兵士たちの間でいかに絶大な信望を得ているかを示し、第二部「ピッコロミニ父子」(全五幕)において、主人公を取り巻く将軍たちの多彩な顔ぶれと皇帝に対する謀反の計画の進行を示して、主人公の「罪の大半は不幸な運星に帰せられ」うること、「彼の心を誤って導いたのは彼の軍隊である」ことを暗示したのち、第三部「ワレンシュタインの死」(全五幕)において、不服従のかどで解任された主人公が、彼の軍隊の彼への忠誠の過信と占星術への盲信から正しい判断力と決断力を失って、結局部下に暗殺されるさまを描く。功利と野心と陰謀の渦巻く世界にピッコロミニの息子マックスとワレンシュタインの娘テクラの清純な悲恋を配して、陰影の深いドイツ最大の歴史悲劇のひとつとなった。

[内藤克彦]

『鼓常良訳『ワレンシュタイン』(岩波文庫)』


ワレンシュタイン(Albrecht Wenzel Eusebius von Wallenstein)
われんしゅたいん
Albrecht Wenzel Eusebius von Wallenstein
(1583―1634)

ドイツの将軍。ボヘミアの貴族の出身。蓄財の才によって巨富を得、三十年戦争勃発(ぼっぱつ)後、自己の資力による軍隊の募集と指揮を皇帝フェルディナント2世に申し出ていたが、デンマーク王クリスティアン4世の参戦後の1625年、皇帝軍総司令官に任命された。彼は、バイエルン軍司令官ティリーと協力してクリスティアンの軍を破り、リューベックの和約を結ばせ、皇帝からメクレンブルク領を与えられたが、皇帝権の強大化を恐れた旧教諸侯の圧力によって30年総司令官を罷免された。スウェーデン王グスタフ・アドルフの侵入後の31年、再度皇帝軍総司令官に起用され、32年グスタフとリュッツェンに戦い、王を戦死させたが、戦いには敗れた。以後敵と和平交渉を行い、皇帝の怒りを買って34年総司令官を罷免され、皇帝の刺客の手にかかって暗殺された。

[中村賢二郎]

『中村賢二郎著『三十年戦争』(『世界の戦史5 ルネサンスと宗教戦争』所収・1966・人物往来社)』

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