世界大百科事典(旧版)内のMūsāb.Nuṣayrの言及
【アンダルス】より
…第1期は征服の開始(711)からウマイヤ朝の領州時代の終り(750)までである。ベルベル人の部将ターリク・ブン・ジヤードが711年に,次いでマグリブ総督ムーサー・ブン・ヌサイルMūsā b.Nuṣayr(640‐716∥717)が712年に,相次いでモロッコの海岸から上陸し征服を開始した。西ゴート王国を滅ぼしたイスラム軍の北進は732年,南フランスのトゥール・ポアティエの戦の敗北で一時頓挫したが,その後も定期的遠征を繰り返し,ローヌ渓谷に進出したこともあった(図1)。…
【ターリク・ブン・ジヤード】より
…アンダルス征服軍の指揮官で,ベルベル人。ウマイヤ朝のイフリーキーヤ州総督ムーサーMūsā b.Nuṣayr(640‐716∥717)に仕え,タンジール駐屯軍の長であったが,711年7000人の兵からなるムスリム軍(その大部分がベルベル人)の指揮官に任命され,アンダルスを侵攻し西ゴート王国を滅ぼした。翌年出征してきたムーサーと競いながら,アンダルスを征服した。…
※「Mūsāb.Nuṣayr」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」