ターリク・ブン・ジヤード(読み)たーりくぶんじやーど(その他表記)āriq b. Ziyād

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ターリク・ブン・ジヤード
たーりくぶんじやーど
āriq b. Ziyād
(?―720)

ムーサーと並ぶイベリア半島征服軍の指揮官で、ベルベル人ウマイヤ朝のイフリーキヤ(リビア以西の北アフリカ)州総督ムーサーのマウラー(解放奴隷)で、彼に仕え、タンジール(タンジャ)駐屯軍の長であった。711年、7000の兵のムスリム軍(イスラム教徒大部分はベルベル人)を率いてスペインに渡り、ロドリゴ王の西ゴート王国を滅ぼした。翌年、出征してきたムーサーと競いながら、イベリア半島を征服した。カリフのアル・ワリード1世の帰国命令により、ムーサーとともに莫大(ばくだい)な戦利品、捕虜を携えてダマスカス凱旋(がいせん)し、同地で没した。なおジブラルタルは、ターリクの山ジャバル・アッターリクJabal al-āriqの転訛(てんか)した地名である。

私市正年]

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

ターリク・ブン・ジヤード
Ṭāriq b.Ziyād
生没年:?-720

アンダルス征服軍の指揮官で,ベルベル人。ウマイヤ朝のイフリーキーヤ州総督ムーサーMūsā b.Nuṣayr(640-716・717)に仕え,タンジール駐屯軍の長であったが,711年7000人の兵からなるムスリム軍(その大部分がベルベル人)の指揮官に任命され,アンダルスを侵攻し西ゴート王国を滅ぼした。翌年出征してきたムーサーと競いながら,アンダルスを征服した。ジブラルタルは,ターリクの山Jabal al-Ṭāriqの転訛した地名である。
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世界大百科事典(旧版)内のターリク・ブン・ジヤードの言及

【ウマイヤ朝】より

…またムハンマド・ブン・アルカーシムは西北インド(シンド)を征略した(712‐713)。北アフリカ征服は,670年ウクバ・ブン・ナーフィーのカイラワーン建設により本格化し,711年ターリク・ブン・ジヤードが,712年ムーサーがイベリア半島に上陸し,その大部分を制圧した。のち,イスラム軍は732年トゥール・ポアティエの戦でフランク軍にその北進を阻止されたが,その後も734年にはローヌ渓谷に,743年にはリヨンに達した。…

※「ターリク・ブン・ジヤード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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