世界大百科事典(旧版)内のMoltke,H.vonの言及
【第1次世界大戦】より
…そこで1891年から1906年まで参謀総長の職にあったA.G.vonシュリーフェンは,開戦の場合,まずフランス軍に向かって迅速に行動して主力軍を壊滅させたあと直ちにロシア軍に当たり,しかもほぼ6週間の短期間に決戦を完了して一挙に勝敗を決するという作戦構想を立てていた。もっとも,シュリーフェンは13年に世を去ったので,現実の第1次大戦の軍事指導に当たった最初の参謀総長はモルトケHelmuth von Moltke(1848‐1916)であった。彼は普墺戦争や普仏戦争で名をあげた大モルトケの甥に当たる。…
【モルトケ】より
…帝国成立後には対露仏二正面戦争論を構想し,後年のシュリーフェン・プランに影響を与えた。小モルトケとよばれる甥のモルトケHelmuth von Moltke(1848‐1916)も1906年参謀総長となり,シュリーフェン・プランの改良を行った。【望田 幸男】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」