世界大百科事典(旧版)内のOdoの言及
【クリュニー修道院】より
…909‐910年に,アキテーヌ公ギヨーム1世によって彼の所領ブルゴーニュのクリュニー荘園内に建設された修道院で,初代修道院長ベルノー以下歴代優れた修道院長をえて修道院改革(クリュニー改革)に空前の成功を収めた。当初からの貧民救済と第2代院長オドーOdo(878ころ‐942)から始まる典礼の重視は不安な時代に生きる人々の心を当院に向けさせ,農民のみならず上層階級の支持をも受けた。この修道院の制度的特色をなす分院体制に基づく中央集権的組織は特に11世紀初頭における幾つかの教皇特許状によって,司教権をも排除しうる教皇直属の修道会として強化された。…
【普遍論争】より
… 論争は同時に神学にもおよんだ。11世紀末のカンプレの司教オドOdoは原罪遺伝説を擁護し,アダムは多数の個の実体的統一であるから,アダムの子らはみな同一実体で,性質のみが異なると主張した。他方,オドと同時代でアベラールの師でもあったロスケリヌスRoscellinusは,実在するものは個物のみで,普遍はたんなる〈音声vox〉にすぎないと考えて,三位一体ではなく三神論を主張するに至った。…
※「Odo」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」