世界大百科事典(旧版)内のShaykhīの言及
【アフサーイー】より
…イラク,イラン各地に学んだのち,ヤズドでシーア派の教師として名声を得,カージャール朝のファトフ・アリー・シャーの招きにあずかったが,そのためかえってシーア派主流に憎まれ,とくに終末における再生の精神主義的解釈が攻撃のまととされた。その後各地を歩いたが,1824年以降シーア派主流と決定的にたもとをわかち,シャイヒーShaykhī派の祖となった。のちこの派からバーブ教運動が生まれる。…
※「Shaykhī」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」