ジャラーイル朝(読み)ジャラーイルちょう(その他表記)Jalāyir

改訂新版 世界大百科事典 「ジャラーイル朝」の意味・わかりやすい解説

ジャラーイル朝 (ジャラーイルちょう)
Jalāyir

イル・ハーン国崩壊後,モンゴル系ジャラーイル部族の武将ハサン・ブズルグḤasan Buzurgがバグダードに建てた王朝。1336-1411年。ハサン・ブズルグは1336年北西イランのタブリーズを占領し,チンギス・ハーンの子孫を君主に頂いたが,同様の傀儡かいらい)君主を立てたチューパーンChūpān朝にここを追われた。ハサン・ブズルグは40年バグダードに新政権を樹立し,チンギス・ハーン家の君主を廃して自らがスルタンの位に就いた。59年には彼の息子シャイフ・ウワイスShaykh Uwaysがタブリーズの旧領を回復した。チューパーン朝が農耕を省みなかったのに反し,同朝は遊牧民出身ながら農業の復興に意を用い,歴代君主は学芸の保護に努めた。シャイフ・ウワイスの子,アフマドの代にティムール朝との戦いに敗れた後,カラ・コユンル朝によってアフマドは殺され(1410),首都バグダードをはじめ国土を奪われた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャラーイル朝」の意味・わかりやすい解説

ジャラーイル朝
ジャラーイルちょう
Jalāyirids; Jalāyiriyān (Āl-i Jalāyir)

イラクおよびアゼルバイジャンを支配したモンゴル系王朝 (1336~1432) 。イル・ハンアブー・サイード (不賽因)に仕えたジャラーイル族のハサン・ブズルグ (在位 1336~56) が,イル・ハン国の崩壊に際してバグダードに権力確立。ウワイス (在位 56~74) のとき,アゼルバイジャンを併合し,タブリーズに本拠を移す。アフマド (在位 82~1410) のとき,チムール (帖木児)侵入により一時領土を失い,やがて回復したが,以後黒羊朝台頭に抗しえず,1412年バグダードを奪われて急速に衰退した。

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