Vijaya(その他表記)Vijaya

世界大百科事典(旧版)内のVijayaの言及

【シンハラ人】より

…人口は1099万(1981),総人口1485万中74%を占める。5世紀ころに記されたシンハラ王朝の《マハーバンサ(大王統史)》では,北インドで父親のライオン(シンハ=獅子)を殺して王位についたシンハバーフ王の長男ビジャヤVijayaが,700名の部下とともに母国から追放され,スリランカ島に漂着した。同じ日に釈迦が涅槃に入ったとされ,シンハラ王朝と仏教との結びつきが強調されている。…

【スリランカ】より

ブラーフミー文字による古代シンハラ語の刻文は,さらに古く前3世紀にまでさかのぼることができる。インドの西海岸から700人の部下とともに漂着したビジャヤVijayaが,先住民族を征服し,シンハラ王朝を建てたのは,前483年と伝えられている。南インドのマドゥライから700名の女性を招き,生まれた子孫が今日のシンハラ人の出自であると信じられている。…

【チャンパ】より

…第7王朝(900‐986)から第9王朝(1044‐74)にかけて,その美術はさらに洗練され,カウターラ(ニャチャン)のポナガールの塔などが今日に伝える建築様式と,チャキエウ出土の彫刻美が示すように,12世紀までにチャンパ美術はその頂上期を迎えた。 10世紀末,新興の前レ(黎)朝ベトナムに侵攻されて第7王朝は甚大な損害を被り,第8王朝は1000年にインドラプラを放棄してビジャヤVijaya(ビンディン)に遷都した。ベトナムの圧迫はその後も執拗に続き,69年にはリ(李)朝ベトナムによってビジャヤが一時攻略され,12世紀には西方から侵攻したアンコール朝にも支配された。…

※「Vijaya」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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