日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャンパ」の意味・わかりやすい解説
チャンパ
ちゃんぱ
Champa
インドシナ半島東岸、ベトナムのフエ(ユエ)地方から南部にかけて存在したインドネシア系のチャム人の王国。中国の史料によれば、土侯の区憐(くりん)が137年ごろ日南郡象林県に侵入したのが始まりで、国名を中国では林邑(りんゆう)とよんだ。ただし9世紀中ごろ以降は占城(せんじょう)とよんだ。チャンパはインド文化系の王国で、サンスクリット語の呼称である。クアンナム省から出土した4世紀後半のサンスクリット語の碑文により、インド文化の浸透・定着が明らかになった。
住民はチョンソン山脈山麓(さんろく)の狭い沿岸平野に住み、国内はいくつもの地域に分立していた。チャンパは、ベトナム北部の広大で肥沃(ひよく)な平野部を略取しようとして北進を目ざし、ホアソン地方(ビンチティエン省北部)へ侵攻を続けた。しかし、5世紀からは敗北の連続で、1471年にはベトナムの黎(れい)朝(レ朝)聖宗の攻撃により首都ビジャヤが陥落し、滅亡への道をたどった。現在チャム人はベトナム南部のファンラン地方などに残っているが、一部はイスラム化した。フエ地方のミソン遺跡には当時のヒンドゥー教系の寺院址(し)、美しい上品な彫刻・破風(はふ)が残っており、とくにチャムの塔は有名である。
[石澤良昭]