改訂新版 世界大百科事典 「キャンディ王国」の意味・わかりやすい解説
キャンディ王国 (キャンディおうこく)
スリランカのシンハラ王朝の最後の王国。北部平原地帯における貯水灌漑システムが崩壊し,古代シンハラ文明の本拠地がジャングルと化した13世紀以降,シンハラ王朝の都は徐々に南西部の湿潤地帯に移っていった。灌漑農業の基盤を欠いていたシンハラ王朝は,内部抗争を繰り返しながら,しだいに地域的な権力に分裂していった。1474年に中央山地に地方権力を樹立したビクラマバーフ王Vikramabāhuが,コーッテKotte王国からの分離独立を宣言し,キャンディKandy王国が成立したとみなされている。1597年までに,スリランカの沿岸地帯の大半がポルトガル植民地に併合され,内陸部のキャンディ王国のみが,在地の権力として独立を維持した。
ポルトガル植民地政府軍は,3度キャンディを攻撃し,王都を占領したが,いずれも王国領の統治を継続できずに撤退している。1656年にポルトガル植民地はオランダ東インド会社領となるが,キャンディ王国との戦争は少なく,比較的平和な共存時代がつづいたといわれている。ナポレオン戦争の結果,1796年にオランダ統治の沿岸地方はイギリスの植民地へと宗主国を替えた。
その間,キャンディ王国ではシンハラ人の王統が絶え,南インドのナーヤッカルNāyakkar王朝から渡来したスリー・ビジャヤ・ラージャシンハ王Srī Vijaya Rājasinhaが王権を継承し,それ以降タミル人王の統治下に置かれた。この時代の社会経済史研究は,あまり行われていないが,王権の支配が直接及んだのは,王都の近くの地域に限られ,遠隔地は在地の権力による自治が大幅に許されていたようである。財政的な基礎は,農産物の貢納とカースト的分業にもとづく労働力の徴用が主要なものであった。たびたびビルマ(現,ミャンマー)とタイの仏教僧が招かれ今日の教団組織の原型がつくられた。1815年王国内部の抗争に乗じて遠征したイギリス軍に敗北し,キャンディ王国は滅亡し,スリランカは英領となった。
執筆者:中村 尚司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報