Vlah(その他表記)Vlah

世界大百科事典(旧版)内のVlahの言及

【アルーマニア人】より

…ルーマニア人と共通の祖先を有したことは言語的にも立証されているが,6世紀以降バルカン半島がスラブ化あるいはギリシア化されるにしたがい,山地部に逃れておもに牧羊に従事し,氏族(ファルカリ)を中心とする共同体を20世紀初頭まで保持していた。彼らは10世紀以後ブラフVlah人の名でビザンティン文献にあらわれ,オスマン帝国も街道整備や運送の義務とひきかえに共同体の大幅な自治を認めていた。17世紀後半からはギリシア商人とともにオーストリアやドイツまで出向いて商業活動を行い,彼らの村々にも繁栄の一時期が訪れるが,19世紀後半からはバルカン・ナショナリズムの争いの道具・被害者となり,また国境設定などのため遠距離移動の放牧様式も妨げられ,現在は同化・消滅の傾向が著しい。…

【ルーマニア】より

…現在のルーマニアとハンガリーをめぐる政治状況および両国の歴史学界の交流の現況から見ても,この論争に終止符が打たれるまでにはまだ時を必要とするであろう。現在のルーマニアの歴史家の意見によれば,ダキア人とローマ人の混交によって生じたダコ・ロマン人が彼らの祖先であり,中世初期の文献では彼らはブラフVlahと呼ばれていた〈アルーマニア人〉の項目参照)。いわゆる民族大移動の時期におもに山間部に避難した彼らは,ドナウ・カルパティア地域に分散して居住し,やがて小さな〈くに〉を形成するようになったが,14世紀に国際情勢の変化とブラフ居住地域の膨張によってワラキアモルドバの二つの公国をつくった。…

【ワラキア】より

… ワラキアという名称はおもに外国人によって用いられたもので,現在のルーマニア人はこれをオルト川を境にムンテニアMuntenia地方とオルテニアOltenia地方に分けて呼んでいるが,歴史上はツァーラ・ロムネヤスカTara Româneascǎ(〈ローマ人の国〉の意)と呼ばれてきた。中世このあたりに住んでいたスラブ人が,ダキア・ローマ人の子孫でロマンス語系の言葉を話す人びとをブラフ人Vlah,Valahと呼んだところからブラフ人の国,つまりワラキアという言葉が生まれ,それがビザンティン帝国や西欧へひろまったのである。ブラフ人という言葉はその時代により,(1)原ルーマニア人を指す場合,(2)一般にルーマニア人を指す場合,(3)ワラキア公国の住民を指す場合とに大別される。…

※「Vlah」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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