改訂新版 世界大百科事典 「マラムレシュ」の意味・わかりやすい解説
マラムレシュ
Maramureş
ルーマニア北東部の県。ティサ川を挟んで,対岸はウクライナ領である。面積6304km2,人口52万(2003)。7市,62町,227村からなり,主たる生業は林業と鉱業である。県都はバイア・マーレBaia Mare(人口14万,2005)。
東カルパチ山脈中のマラムレシュ山脈,ロドナ山脈などが県内を走り,ティサ川とその支流およびソメシュ川流域の盆地地帯を除けば,大部分は標高1000~2300mの山々の連なる地域である。1920年トリアノン条約によってルーマニア領となる以前は,ハンガリー王国あるいはトランシルバニア公国の領土で,当時はティサ川の両岸をマラムレシュ県と称していた(歴史的なマラムレシュ。ハンガリー語でマーラマロシュMáramaros)。円弧状に走るカルパチ山脈の一部をなすこの地方は,隔絶された閉鎖的な地域ではなかったが,山間部住民の生活には往古の面影が色濃く残され,ヨーロッパでは稀有な辺境地域として民族学者などの注目を集めている。19世紀末には2町,150村からなり,住民数はウクライナ人,ルーマニア人,マジャール人の順で,ほかにドイツ人,ユダヤ人,ジプシーがいたが,最も古い住民はアルーマニア人(ブラフVlah人)であったと思われる。ダキア・ローマ人の子孫であるブラフ人は民族大移動期にもここに居住し,独自の共同体と法をもち,クネズおよびボイェボドと称する首長に率いられていた。1359年ボイェボドのボグダンBogdanに率いられたブラフ人の一部はモルドバへ移って公国をつくった。ウクライナ人はもとキエフ・ロシア公国の滅亡後山間部へ避難したスラブ人の子孫であり,またマジャール人はハンガリー王が1368年にようやくブラフ人の抵抗を排してマラムレシュ県を設置した後に移住してきたものである。現在ではここにも近代化の波が押し寄せつつあるが,それでもたとえばルーマニア人の村々を訪れれば,木造の教会や木彫で飾られた民家の門が残されており,バラードをはじめとする豊かな民謡や仮面をつけた民衆劇に古代以来の伝統をうかがいしることができる。
執筆者:萩原 直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報