…しかしシク王国内の不統一がイギリス側のつけいるところとなり,シク軍主力が49年2月にグジャラートで決定的な打撃をこうむり,戦争は敗北に終わる。総督ダルフージーはただちにシク王国の英領インドへの併合を実施し,幼い王ダリプ・シングは5万ポンドの年金を与えられ,教育のためとしてイギリスへ送られることとなる。シク教徒たちはこれ以後武器の所持を禁じられた。…
…統治機構上,イギリス議会が管轄する英領インドと区別された。総督ダルフージーDalhousieの時期(1848‐56)には旧封建支配層の領土は英領に吸収する策をとるが,1857‐59年のセポイの反乱(インド大反乱)を機にインド内のイギリス統治の忠実な友としてその存続がはかられる。1927年のインド藩王国委員会報告ではその数562,面積は当時のインド全体の45%,人口で24%を占めた。…
※「ダルフージー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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