熊野権現御垂迹縁起(読み)くまのごんげんごすいじゃくえんぎ

改訂新版 世界大百科事典 「熊野権現御垂迹縁起」の意味・わかりやすい解説

熊野権現御垂迹縁起 (くまのごんげんごすいじゃくえんぎ)

熊野権現が紀州熊野に鎮座し,世に知られるようになったいきさつを書いた縁起記。完本は伝わらないが,《長寛勘文》や《証菩提山等縁起》《熊野山略記》などに引用されており,その内容が知られる。熊野三所権現が唐の天台山を発して鎮西彦山,伊与石槌峰,淡路遊鶴羽(ゆづるは)峰へと順次天下り,次いで紀伊切目山西海北岸の松の木の下に渡御し,やがて熊野新宮南の神倉峰(かんのくらのみね)に降臨し,また新宮東阿須賀(あすか)社北の石淵谷に鎮まり,最後は本宮大湯原の一位の木にとどまった。これを河内犬飼熊野部千与兼(千与定とも)が発見し,その木の下に宝殿を建ててまつった。たまたま寄宿した修行僧禅洞上人に権現降下の話をしたが禅洞は犬飼の案内により本宮三社に参詣し,これを紀伊国の人々に披露したとするのがこの縁起の大要である。〈根本縁起〉とも称されており,本地垂迹思想の普及した平安末期において,熊野権現創始説の基本となる縁起書として重要である。
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