デジタル大辞泉 「河内」の意味・読み・例文・類語
ハノイ(Hanoi)
[補説]「河内」とも書く。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊本県熊本市西区の一地域。旧町名。1971年(昭和46)河内芳野(よしの)村が町制施行で河内町と改称。1991年(平成3)熊本市に編入され、市の西北部を占める。河内川流域の沖積地を除けば、ほぼ全域が更新世(洪積世)末期火山岩(安山岩類)からなり、地形的には、旧町域の北端に位置する二ノ岳(685メートル)と、南端の金峰(きんぽう)山(665メートル)の両斜面が複合した形状を呈し、さらに全体として緩傾斜をなしながら、西の島原湾に至る。温州ミカン(うんしゅうみかん)栽培の先進地として知られ、標高約400メートル以下、傾斜角約40度以内の傾斜地はほとんどミカン園になっている。生果以外の市場開発を目ざしたミカンを原料としたブランデー生産は、公営事業として成功を収めている。臨海地域は、久しくノリ、アサリ養殖を主に、自給畑作を兼ね営んでいたが、隣接の熊本市街地との交通が便利になった(主要地方道の整備)ことから、一部には自給畑作地をミカン園に造成し、ミカン狩りと潮干狩りとを兼ねた二季型の観光地形成が認められる。観光地に河内温泉や金峰山県立自然公園がある。
[山口守人]
石川県南部、石川郡にあった旧村名(河内村(むら))。2005年(平成17)松任(まっとう)市、石川郡美川(みかわ)町、鶴来(つるぎ)町、吉野谷(よしのだに)村、鳥越(とりごえ)村、尾口(おぐち)村、白峰(しらみね)村と合併し、白山市(はくさんし)となり、市の中央部を構成する。手取(てどり)川の支流、直海谷(のうみだに)川流域の山村で、深雪地帯にある。国道157号が通じる。白山の開祖、泰澄(たいちょう)が止宿したと伝える宿ノ岩遺跡(しゅくのいわいせき)があり、地名は平安時代の河内荘(しょう)にちなむ。江戸時代、銀山があり、木炭、繭、タバコなどを産した。第二次世界大戦後、木炭生産が衰退し、過疎化が進んだが、一方、水力発電所の設置や、キノコ栽培、キャンプ場、スキー場開発に力を入れている。
[矢ヶ崎孝雄]
『上山秀之著『河内村風土記』(1966・石川県図書館協会)』▽『『河内村史』全2巻(1981~1983・河内村)』
広島県南部、賀茂郡(かもぐん)にあった旧町名(河内町(ちょう))。現在は東広島市(ひがしひろしまし)の一地区。旧河内町は1924年(大正13)大河(おおかわ)村が町制施行して成立。1955年(昭和30)戸野(との)村と合併、1956年入野(にゅうの)村を編入。2005年(平成17)東広島市に編入。JR山陽本線、国道432号が通じ、山陽自動車道の河内インターチェンジがあり、広島・東広島両市の市街地への通勤圏にある。旧町域は山地がちで、沼田川の上流域にあたる。米作中心の農業が主で、林業も行われる。近くに広島空港(所在は三原(みはら)市)ができたことにより、臨空団地、流通工業団地が造成され、企業進出がみられる。行基(ぎょうき)の開基と伝えられる古刹(こさつ)竹林寺(ちくりんじ)、椋梨(むくなし)ダムによってつくられた白竜湖とその上流の深山(みやま)渓などは竹林寺用倉山県立自然公園になっている。
[北川建次]
栃木県中央部、河内郡にあった旧町名(河内町(まち))。現在は宇都宮市(うつのみやし)の東部中央寄りを占める地域。旧河内町は1966年(昭和41)町制施行。2007年(平成19)宇都宮市に編入。JR東北本線(宇都宮線)、国道4号が通じる。宇都宮市の発展とともに、企業、住宅団地の進出が著しく、市の中心部市街地への通勤、通学者も年々増加している。旧町域の東縁を鬼怒(きぬ)川が南流し、田川沿岸低地とともに水田が広がる。宇都宮東台地上には逆木用水(さかさぎようすい)の通水後に成立した新田集落が多い。米麦作を中心にナシ、タマネギなどを産するが、都市化に伴って農業人口は大幅に減少している。国指定重要文化財の民家である岡本家住宅がある。
[櫻井明久]
『『河内町誌』(1982・河内町)』
茨城県南部、稲敷郡(いなしきぐん)にある町。利根川(とねがわ)沿いに東西19.2キロメートル、南北2.8キロメートルの細長い町で、低湿な氾濫原(はんらんげん)と農村集落からなる。1996年(平成8)町制施行。国道408号が走り、長豊(ながとよ)橋経由で千葉県成田市に通じる。室町時代中ごろには集落が形成され、江戸時代以降耕作地として開け、天領、旗本領となった。耕地面積のほとんどは水田で米の単作地帯。第二次世界大戦後に堤防利用の酪農が発達し、利根川下流域に広がった。面積44.30平方キロメートル、人口8231(2020)。
[櫻井明俊]
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熊本県中部,飽託(ほうたく)郡の旧町。1991年飽託郡の他の3町とともに熊本市へ編入。旧町域は西は有明海に面し,南に金峰山,北に二ノ岳,三ノ岳がそびえ,平地は少ない。河内ミカンの名で知られるミカンの一大産地で,江戸時代以来の歴史をもち,世界初のミカンの蒸留酒製造が試みられている。沿岸ではクルマエビ,アサリなどの浅海漁業とノリ養殖が行われる。金峰山一帯は県立自然公園に指定され,海岸線の突端には河内温泉(純食塩泉,36~43℃)がある。
執筆者:松橋 公治
茨城県南端,稲敷郡の町。人口1万0172(2010)。1996年町制。利根川北岸の沖積低地を占め,北部を新利根川が流れる。近世初期に新田が開発され,早場米地帯として知られた。湿田が多かったが,1960年代後半から圃場整備が進み,農作業の機械化と兼業化が著しい。東部の金江津ではれんこんの生産,利根川河川敷では酪農が行われる。近年,機械金属や化粧品などの工場が進出している。利根川対岸の千葉県との間に長豊橋,常総大橋がかかる。
執筆者:千葉 立也
中国,河南省の北東部,東と南とを黄河に囲まれた地域の古名。だいたい今日の安陽・新郷2地区を占め,古代文化の発生地の一つである。戦国時代には魏国の領土で,漢代その西部に河内郡がおかれ,のち懐州とも称し,明・清時代には懐慶府といわれた。行政中心は初め懐県であったが,晋代に野王県に移り,隋代以後,河内県と改められたのであって,今日の沁陽(しんよう)県に当たる。
執筆者:日比野 丈夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ベトナム北部のトンキン・デルタの中央やや北寄りに位置する。中国語で河内と記されるように,ソンコイ川本流とその支流ドゥオン川に囲まれた地域に立地する。河口から約150km上流にあるが,標高は6mにすぎず,乾季にはトンキン湾の潮汐の影響がこの付近にまで及ぶ。…
…中国の前漢時代に河東,河内,河南を総称した地名。河東は南流黄河の東部で今日の山西省南西部,河内は東流黄河が太行山脈の南東角から転じて北流する屈曲部の内側,今日の河南省北部,河南は黄河の南側に当たる河南省中部をさす。…
※「河内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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