河内(読み)こうち

精選版 日本国語大辞典 「河内」の意味・読み・例文・類語

こうち かふち【河内】

(「かわうち」の変化した語)
[1] 〘名〙 川の流れを中心として、両岸一帯の地域。
※万葉(8C後)一・三六「山川の 清き河内(かふち)と 御心を 吉野の国の」
[2] 旧国名の一つ。畿内五か国の一つ。現在の大阪府の一部。河州。かわち
※書紀(720)神功二年一一月(北野本南北朝期訓)「天皇を河内(カウチ)の国の長野の陵(みささき)に葬(かく)しまつる」

かわち かはち【河内】

[一] 畿内五国の一つ。古くは淀川の内の方の意で「凡河内(おおしかわち)」「大河内」といった。大化改新後、一国となる。鎌倉時代は北条氏一門が守護。建武中興のとき楠木正成の拠地となり、以後、畠山・細川・三好氏が支配。江戸時代は一部天領。廃藩置県後、堺県を経て、明治一四年(一八八一)大阪府に編入。東大阪市内にその地名が残る。河州。こうち。
[二] 栃木県の中央部の郡。鬼怒川と黒川の間にある。明治二九年(一八九六)郡内に宇都宮市が成立。

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デジタル大辞泉 「河内」の意味・読み・例文・類語

ハノイ(Hanoi)

ベトナム社会主義共和国の首都。同国北部にあり、ホン川に臨む水陸交通の要地で、11世紀に李朝が都を置き、政治・経済・文化の中心地として発展。化学工業や機器製造が盛ん。歴代の王宮が発見されたタンロン遺跡、11世紀建立の同国初の大学である文廟をはじめ、歴史的遺跡が多い。人口、行政区263万、都市圏645万(2009)。
[補説]「河内」とも書く。

かわち〔かはち〕【河内】

旧国名の一。五畿に属し、現在の大阪府南東部にあたる。河州かしゅう

こうち〔かふち〕【内】

《「かわうち」の音変化》川の流域に開けた平地。
「高知らす吉野の宮はたたなづく青垣ごもり川なみの清き―そ」〈・九二三〉

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日本歴史地名大系 「河内」の解説

河内
かわうち

鮎沢あゆざわ(現甲西町)以南の富士川流域をさす呼称。河内谷という呼び方もあった。広義の国中くになかに含まれることもある。地名は幾つかの河の集まる所の意味だとの説が強い。康暦二年(一三八〇)から至徳二年(一三八五)に書写された現身延みのぶ南松なんしよう院所蔵大般若経の奥書に「河内」と書かれている。「勝山記」には永正一〇年(一五一三)、河内の穴山道義入道が子息清五郎に討たれたとある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河内」の意味・わかりやすい解説

河内
かわち

石川県南部,白山市中北部にあり,白山の麓,手取川中流域の一部と支流直海谷川(のみだにがわ)の流域に位置する旧村域。1889年村制。2005年松任市,美川町,鶴来町,吉野谷村,鳥越村,尾口村,白峰村と合体して白山市となった。名称は中世以来の荘名に由来する。地域の大部分が山地,丘陵で,手取川沿いと直海谷川沿いに集落がある。農業はイネの種子生産地に指定され,工業は採石業が行なわれている。過疎問題が深刻であったが,スキー場,保養施設を中心とするリゾート開発とともに宅地造成が推進された。直海谷川支流板尾川の不動滝一帯は,獅子吼高原手取峡谷とともに獅子吼・手取県立自然公園に指定。

河内
こうち

広島県中南部,東広島市東部の旧町域。沼田川中流域にある。 1924年町制。 1955年戸野村および豊田村の一部と合体。 1956年入野村を編入。 2005年東広島市に編入。米作が農業生産のほとんどを占めるが,兼業農家が主体。近年,宅地化が進んでいる。 1968年沼田川の支流椋梨川に椋梨ダムが完成し,三原市尾道市へ給水されている。竹林寺と用倉山を中心とする一帯は景勝地で,竹林寺用倉山県立自然公園に属する。

河内
かわち

栃木県中部,宇都宮市北東部の旧町域。下野平野の北部にある。 1955年古里村,田原村が合体して河内村となり,1966年町制。 2007年宇都宮市に編入。かつて奥州街道沿いに白沢宿が栄えた。農業のほか,製紙,食品,一般機械工業が盛ん。兼業農家が多い。江戸時代の庄屋格組頭であった岡本家住宅 (国指定重要文化財) がある。

河内
かわち

熊本県中部,金峰山地にあり,有明海にのぞむ地区。旧町名。 1991年熊本市に編入。山地の斜面ではミカンの栽培が盛ん。海岸部に単純泉 (弱食塩泉) の河内温泉が,金峰山には夏目漱石の小説『草枕』ゆかりの峠の茶屋がある。付近は金峰山県立自然公園に属する。面積 33.95km2

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改訂新版 世界大百科事典 「河内」の意味・わかりやすい解説

河内 (かわち)

熊本県中部,飽託(ほうたく)郡の旧町。1991年飽託郡の他の3町とともに熊本市へ編入。旧町域は西は有明海に面し,南に金峰山,北に二ノ岳,三ノ岳がそびえ,平地は少ない。河内ミカンの名で知られるミカンの一大産地で,江戸時代以来の歴史をもち,世界初のミカンの蒸留酒製造が試みられている。沿岸ではクルマエビ,アサリなどの浅海漁業ノリ養殖が行われる。金峰山一帯は県立自然公園に指定され,海岸線の突端には河内温泉(純食塩泉,36~43℃)がある。
執筆者:

河内[町] (かわち)

茨城県南端,稲敷郡の町。人口1万0172(2010)。1996年町制。利根川北岸の沖積低地を占め,北部を新利根川が流れる。近世初期に新田が開発され,早場米地帯として知られた。湿田が多かったが,1960年代後半から圃場整備が進み,農作業の機械化と兼業化が著しい。東部の金江津ではれんこんの生産,利根川河川敷では酪農が行われる。近年,機械金属や化粧品などの工場が進出している。利根川対岸の千葉県との間に長豊橋,常総大橋がかかる。
執筆者:

河内 (かない)
Hé nèi

中国,河南省の北東部,東と南とを黄河に囲まれた地域の古名。だいたい今日の安陽・新郷2地区を占め,古代文化の発生地の一つである。戦国時代には魏国の領土で,漢代その西部に河内郡がおかれ,のち懐州とも称し,明・清時代には懐慶府といわれた。行政中心は初め懐県であったが,晋代に野王県に移り,隋代以後,河内県と改められたのであって,今日の沁陽(しんよう)県に当たる。
執筆者:

河内(栃木) (かわち)

河内 (こうち)

河内(石川) (かわち)

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デジタル大辞泉プラス 「河内」の解説

河内

日本海軍の戦艦。河内型戦艦の1番艦。1910年進水、1912年就役の弩級戦艦。第一次世界大戦では第一艦隊旗艦などをつとめた。1918年、徳山湾で爆発事故により沈没。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河内」の解説

河内 かわち

俊子内親王家河内(としこないしんのうけの-かわち)

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世界大百科事典(旧版)内の河内の言及

【三河】より

…中国の前漢時代に河東,河内,河南を総称した地名。河東は南流黄河の東部で今日の山西省南西部,河内は東流黄河が太行山脈の南東角から転じて北流する屈曲部の内側,今日の河南省北部,河南は黄河の南側に当たる河南省中部をさす。…

※「河内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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