こうち かふち【河内】
(「かわうち」の変化した語)
※
書紀(720)神功二年一一月(北野本南北朝期訓)「
天皇を河内
(カウチ)の国の
長野の陵
(みささき)に葬
(かく)しまつる」
かわち かはち【河内】
[二] 栃木県の中央部の郡。
鬼怒川と
黒川の間にある。明治二九年(
一八九六)郡内に宇都宮市が成立。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「河内」の意味・読み・例文・類語
ハノイ(Hanoi)
ベトナム社会主義共和国の首都。同国北部にあり、ホン川に臨む水陸交通の要地で、11世紀に李朝が都を置き、政治・経済・文化の中心地として発展。化学工業や機器製造が盛ん。歴代の王宮が発見されたタンロン遺跡、11世紀建立の同国初の大学である文廟をはじめ、歴史的遺跡が多い。人口、行政区263万、都市圏645万(2009)。
[補説]「河内」とも書く。
かわち〔かはち〕【河内】
旧国名の一。五畿に属し、現在の大阪府南東部にあたる。河州。
こうち〔かふち〕【▽河▽内】
《「かわうち」の音変化》川の流域に開けた平地。
「高知らす吉野の宮はたたなづく青垣ごもり川なみの清き―そ」〈万・九二三〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
河内
かわうち
鮎沢(現甲西町)以南の富士川流域をさす呼称。河内谷という呼び方もあった。広義の国中に含まれることもある。地名は幾つかの河の集まる所の意味だとの説が強い。康暦二年(一三八〇)から至徳二年(一三八五)に書写された現身延町南松院所蔵大般若経の奥書に「河内」と書かれている。「勝山記」には永正一〇年(一五一三)、河内の穴山道義入道が子息清五郎に討たれたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
河内
かわち
石川県南部,白山市中北部にあり,白山の麓,手取川中流域の一部と支流直海谷川(のみだにがわ)の流域に位置する旧村域。1889年村制。2005年松任市,美川町,鶴来町,吉野谷村,鳥越村,尾口村,白峰村と合体して白山市となった。名称は中世以来の荘名に由来する。地域の大部分が山地,丘陵で,手取川沿いと直海谷川沿いに集落がある。農業はイネの種子生産地に指定され,工業は採石業が行なわれている。過疎問題が深刻であったが,スキー場,保養施設を中心とするリゾート開発とともに宅地造成が推進された。直海谷川支流板尾川の不動滝一帯は,獅子吼高原,手取峡谷とともに獅子吼・手取県立自然公園に指定。
河内
こうち
広島県中南部,東広島市東部の旧町域。沼田川中流域にある。 1924年町制。 1955年戸野村および豊田村の一部と合体。 1956年入野村を編入。 2005年東広島市に編入。米作が農業生産のほとんどを占めるが,兼業農家が主体。近年,宅地化が進んでいる。 1968年沼田川の支流椋梨川に椋梨ダムが完成し,三原市や尾道市へ給水されている。竹林寺と用倉山を中心とする一帯は景勝地で,竹林寺用倉山県立自然公園に属する。
河内
かわち
栃木県中部,宇都宮市北東部の旧町域。下野平野の北部にある。 1955年古里村,田原村が合体して河内村となり,1966年町制。 2007年宇都宮市に編入。かつて奥州街道沿いに白沢宿が栄えた。農業のほか,製紙,食品,一般機械工業が盛ん。兼業農家が多い。江戸時代の庄屋格組頭であった岡本家住宅 (国指定重要文化財) がある。
河内
かわち
熊本県中部,金峰山地にあり,有明海にのぞむ地区。旧町名。 1991年熊本市に編入。山地の斜面ではミカンの栽培が盛ん。海岸部に単純泉 (弱食塩泉) の河内温泉が,金峰山には夏目漱石の小説『草枕』ゆかりの峠の茶屋がある。付近は金峰山県立自然公園に属する。面積 33.95km2。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
かわち【河内】
熊本県中部,飽託(ほうたく)郡の旧町。1991年飽託郡の他の3町とともに熊本市へ編入。旧町域は西は有明海に面し,南に金峰山,北に二ノ岳,三ノ岳がそびえ,平地は少ない。河内ミカンの名で知られるミカンの一大産地で,江戸時代以来の歴史をもち,世界初のミカンの蒸留酒製造が試みられている。沿岸ではクルマエビ,アサリなどの浅海漁業とノリ養殖が行われる。金峰山一帯は県立自然公園に指定され,海岸線の突端には河内温泉(純食塩泉,36~43℃)がある。
かない【河内 Hé nèi】
中国,河南省の北東部,東と南とを黄河に囲まれた地域の古名。だいたい今日の安陽・新郷2地区を占め,古代文化の発生地の一つである。戦国時代には魏国の領土で,漢代その西部に河内郡がおかれ,のち懐州とも称し,明・清時代には懐慶府といわれた。行政中心は初め懐県であったが,晋代に野王県に移り,隋代以後,河内県と改められたのであって,今日の沁陽(しんよう)県に当たる。【日比野 丈夫】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
河内
日本海軍の戦艦。河内型戦艦の1番艦。1910年進水、1912年就役の弩級戦艦。第一次世界大戦では第一艦隊旗艦などをつとめた。1918年、徳山湾で爆発事故により沈没。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典内の河内の言及
【三河】より
…中国の前漢時代に河東,河内,河南を総称した地名。河東は南流黄河の東部で今日の山西省南西部,河内は東流黄河が太行山脈の南東角から転じて北流する屈曲部の内側,今日の河南省北部,河南は黄河の南側に当たる河南省中部をさす。…
※「河内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報