ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説 アナトリア・セルジューク朝アナトリア・セルジュークちょうAnatolia Seljuk セルジューク朝の傍系の一族がアナトリアに進出して樹立した王朝 (1077~1307) 。ルーム (アナトリアと同義) ・セルジューク朝とも呼ばれる。王朝の始祖スレイマン・イブン・クトルムシュはアナトリアのほぼ全土を征服し,1081年ニケーアを首都にした。その子キリジ・アルスラーン1世は 97年ドリレウムで第1次十字軍に敗れ,西部アナトリアをビザンチン帝国に奪回された。 1116年中部アナトリアのコニア (ギリシア語のイコニウム) に遷都し,76年ミリオケファロンの戦いでビザンチン軍を撃破したのち,アラー・ウッディーン・カイクバート1世 (在位 1219~37) の治世に政治・経済・文化的に国家の最盛期を現出した。 1243年キョセ・ダウの戦いでモンゴル軍に敗れ,それ以後イランのイル・ハン国に臣属した。 1308年ギャス・ウッディーン・メスート2世が急逝したのち後継者がなく,アナトリア・セルジューク朝は滅亡した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by