アメリカズカップ

デジタル大辞泉 「アメリカズカップ」の意味・読み・例文・類語

アメリカズ‐カップ(America's Cup)

国別対抗のマッチレースで争われる国際外洋ヨットレース。1851年に始まり、ほぼ4年ごとに開催される。アメリカ杯

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共同通信ニュース用語解説 「アメリカズカップ」の解説

アメリカズカップ

1851年に第1回大会が行われた世界最古のヨットレースで、ゴルフの全英オープンや近代五輪より長い歴史を誇る。同大会の優勝艇「アメリカ」からアメリカズカップと名付けられた。英国リプトン米国バンダービルトなど大富豪も参戦するなど国の名誉を懸けたレースになっている。

1983年に「オーストラリア2」が初優勝するまで米国艇がカップを守り続けたが、その後ニュージーランドスイスのチームも勝っている。日本勢は92年から2000年まで3大会連続でニッポンチャレンジが挑戦したが、資金難により挑戦が途絶えていた。

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知恵蔵 「アメリカズカップ」の解説

アメリカズカップ

世界最高峰の国際ヨットレース。1851年にロンドン万国博覧会の記念行事として開催された英国ワイト島1周ヨットレースで、アメリカチームが優勝したことを契機に始まった。この英国ワイト島1周ヨットレースの優勝杯である「100ポンド杯 (後の100ギニー杯。ギニーは賞金などを表す際に使われる通貨単位)」は、地元のニューヨーク・ヨットクラブに寄付され、その際、今後この優勝杯をかけて国際的な友好ヨットレースを行うことと文書に記された。これがアメリカ杯の始まりである。
1870年にアメリカ杯を巡る最初のレースが17艇による一斉スタートで行われた。その後も複数艇による競争として不定期に開催され、第2次世界大戦後の1958年の大会以後は、3年から4年に1回開催されている。また70年からは、予選を勝ち抜いた挑戦艇と前回優勝艇との一騎打ちで争う形式となった。
83年からは、フランスのマルティエ(スーツケース職人)であったルイ・ヴィトンが予選シリーズの支援を申し出て、「ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ(WS)」がスタートした。参加艇は約2年にわたりワールドシリーズを戦い、その後、参加6チームが総当たりのマッチレースを2回行って前回優勝チーム以外の最下位チームが脱落する「クオリファイヤーズ」とトーナメント方式の「プレーオフ」の2大会を経て、挑戦艇が選出される。
優勝杯は、1851年に英国から持ち帰って以降、132年間にわたって米国艇が保持し続けたが、1983年に豪州艇が歴史的な初優勝を収めた。95年にはニュージーランドの艇が優勝し、次の予選でイタリアが挑戦艇となったため、2000年はアメリカ杯初の米国不在の対戦となった。
第35回アメリカ杯は、17年6月に英領バミューダで開催された。防衛艇は13年の優勝艇「オラクル・チームUSA」。
日本からは「ソフトバンク・チーム・ジャパン」が出場。チームを率いる早福和彦総監督は、1998年と2000年に「ニッポンチャレンジ」の一員としてアメリカ杯に参戦。日本勢の参戦が途絶えた後も、海外で競技を続け、15年に日本チーム総監督に就任した。レース戦略を組み立てる重要な役割を担うスキッパー(艇長)は、世界的な名スキッパーのディーン・バーカー。バーカーは、00年の第30回大会で、母国のニュージーランド艇のかじ取りを任され、挑戦艇のイタリア艇に快勝し、史上最年少の26歳で優勝スキッパーになった。
日本チームは、16年11月に福岡県福岡市の地行浜(じぎょうはま)で行われたワールドシリーズの最終戦(アジア初開催)において6チーム中5位となり、総合5位でクオリファイヤーズに駒を進めた。その後、17年5月27日から英領バミューダで行われたクオリファイヤーズを5位で通過し、6月のプレーオフに挑んだが、5戦先勝の準決勝でアルテミス・レーシング(スウェーデン)を相手に通算3勝5敗で敗退した。日本チームとしては17年ぶりのアメリカ杯挑戦で、初の決勝進出に届かなかった。
プレーオフ決勝は6月10日からエミレーツ(ニュージーランド)とアルテミス・レーシングが対戦し、5勝2敗でエミレーツがオラクル・チームUSAへの挑戦権を獲得した。アメリカ杯本選は6月17日から開幕。1勝を1点とする7点先取制で、17年6月26日、エミレーツが7対1でアメリカ杯を獲得した。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2017年)

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百科事典マイペディア 「アメリカズカップ」の意味・わかりやすい解説

アメリカズ・カップ

国際外洋ヨット・レースのひとつ。1851年米国のヨット〈アメリカ号〉が英国のワイト島1周レースで銀のカップを手にし,これを寄贈されたニューヨーク・ヨットクラブがこのカップに挑戦するレースを企画した。1980年まで25回にわたって米国が優勝したが,1983年にはオーストラリアが優勝し,米国国外へ初めてカップを持ち出した。1992年には日本も参加したが準決勝で敗退,4位に終わり,1994年は予選敗退。1回のチャレンジにかかる総費用は20億円以上で,ヒト,モノ,カネの勝負と言われる。

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世界大百科事典(旧版)内のアメリカズカップの言及

【ヨット】より

…総トン数170トンのこのスクーナーは,船型も帆装も当時のイギリス流のヨットとはまったく違っていたが,1851年大西洋を渡ってイギリス最高の格式を誇るワイト島一周レースに挑み,みごと優勝杯をさらってアメリカへもって帰ってしまった。以後この優勝杯は〈アメリカズ・カップAmerica’s Cup〉と呼ばれ,イギリス,アメリカをはじめ各国のヨットマンの間で熾烈(しれつ)な争奪戦が続くことになる。 一方,19世紀半ば近くになると蒸気機関が帆に代わる推進方法として脚光を浴びてくる。…

※「アメリカズカップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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