ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクセイ2世」の意味・わかりやすい解説
アレクセイ2世
アレクセイにせい
Aleksei II Petrovich Romanov
[没]1718.7.7. ペテルブルグ
ロシア皇太子。ピョートル1世 (大帝)とその最初の皇后エウドキヤとの間に生れた唯一人の息子。幼少の頃,父に敵対するグループの中で育てられた。 1698年ピョートルの西ヨーロッパ旅行中に起ったストレリツィ (銃兵隊) の反乱ののち,父方の叔母ナターリヤに預けられる。 1709年北方戦争におけるポルタバの戦いののち,反ピョートル派の貴族イワン・ミロスラフスキーらに父の暗殺をそそのかされたが,先手をうった父の命令で教育のためと称して国外に出された。再び父の命令で 11年ブラウンシュワイク家のシャルロッテ・ボルフェンビュッテルと結婚,15年息子ピョートル (のちの2世) が生れた。その1週間後,父の後妻エカテリーナ (のちの1世) にも子供が生れ,後継者たることを示唆するピョートルの名が与えられた。その年から父との関係は急速に冷却,17年従兄カルル6世を頼ってウィーンに逃れたが,18年父の間諜に発見されて連れ戻され,帝位継承権の放棄を強要され,反逆罪のかどで拷問を受けて獄死。
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