アンタエ(その他表記)Antae

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンタエ」の意味・わかりやすい解説

アンタエ
Antae

古代スラブ人の一部族。その名は3世紀ケルチ (クリミア半島) の碑銘に初めて現れる。アンタエ (アント) 人については,6世紀のビザンチン文人プロコピオスやヨルダネスらが記しているが,それによると彼らはドネプル川流域を居住地とし,3~4世紀ゴート人,4~5世紀フン民族に服属した。 453年アッチラ没後,フン帝国が瓦解するとその支配を脱し,「種族同盟」を結んで結束を固めた。その後次第に勢力を強め,6世紀には南方通商路を求めてビザンチン帝国と争い,同じスラブ人の一部族であるスクラベン人と協力してしばしばその領土を脅かした。 540年ビザンチン皇帝ユスチニアヌス1世がドナウ河畔に築いた城柵を突破し,コンスタンチノープル危地に陥れている。6世紀末以降東方からのアバール人,フンの後裔ウゴル人などの異民族の侵入を支えきれず,同盟は破壊され,勢力は弱められた。彼らを古代ロシア (キエフ・ルーシ) 人の直接の祖先とする説はいまだ確認されたとはいいがたい。

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