ふん(読み)フン

デジタル大辞泉 「ふん」の意味・読み・例文・類語

ふん[感]

[感]
目下の者などに対し、軽く受け答えするときに、また、承諾の意をぞんざいに表すときに発する語。うん。「ふん、そう」
不満や軽視の気持ちを表すときに発する語。「ふん、ばかばかしい」

ふん[接頭]

[接頭]《動詞「ふ(踏)む」の連用形「ふみ」の音変化》動詞に付いて、その動作を荒々しく行う意を表す。「ふんじばる」「ふんだくる」「ふんづかまえる」

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精選版 日本国語大辞典 「ふん」の意味・読み・例文・類語

ふん

  1. 〘 感動詞 〙
  2. 相手の話に軽く応じたり、ぞんざいに、承諾の意を表わしたりする時に発することば。うん。ふむ。
    1. [初出の実例]「ふん、こりゃ、ふるうはあらふが、むさいやつぢゃな」(出典:狂言記・粟田口(1660))
  3. 人の話を嘲笑して鼻であしらう時に発することば。
    1. [初出の実例]「フン癯(やせ)我慢をお言ひでない」(出典浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉一)

ふん

  1. 〘 接頭語 〙 ( 動詞「ふむ(踏)」の連用形「ふみ」の変化したもの ) 動詞の上に付いて、その動作を荒々しく行なう意を表わす。「ふん縛(じば)る」「ふんだくる」「ふん掴(づか)まえる」など。

フン

  1. 〘 名詞 〙フンぞく(━族)

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普及版 字通 「ふん」の読み・字形・画数・意味


19画

[字音] フン

[字形] 形声
声符は(ふん)。〔淮南子、氾論訓〕に「井に羊を生ず」とあって、土中の怪をいう。〔国語、魯語下〕に「季桓子、井をちて土缶(どふ)の如きをたり。其の中に羊り。之れを仲尼孔子)に問はしめて曰く、吾(われ)井をちて狗をたり、何ぞやと。對へて曰く、丘の聞くを以てするに、羊ならん。丘、之れを聞けり。木石の怪を(き)・罔兩(まうりやう)と曰ひ、水の怪を罔象(まうしやう)と曰ひ、土の怪を羊と曰ふと」とみえる。〔広雅、釈天〕に「土、之れを羊と謂ふ」とあり、羊のことは、孔子の博学を示す説話の一である。

[訓義]
1. 羊、土中の怪物。

[熟語]

[下接語]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ふん」の意味・わかりやすい解説

フン
ふん
Hun

4世紀、ヨーロッパに侵入した北アジアの遊牧騎馬民族。その名は170年に記されたギリシアの地理学者プトレマイオスの書にもみえ、当時彼らがドン川とボルガ川との間に住み、その後続部族はシルダリヤ近隣にいたことがわかる。4世紀の中ごろから西方へ移動し始め、ドン川東岸のアラン人を併合し、374年ドン川を渡って東ゴート王国を攻め滅ぼし、ついでドニエステル川を渡って西ゴートを破り、これらの諸族を併合したが、西ゴート人の一部はローマ帝国に請い、トラキアに入居した。これは後の民族大移動の原因となった。フン王ウルディスの時代、彼らはドナウ川を渡ってブルガリアに入ったが、ローマ帝国は彼らを懐柔し、フン人はローマ軍の傭兵(ようへい)として働いた。アッティラがフン王となると(434)、西ローマ帝国への侵入を開始、ライン川を渡って北フランスに軍を進め、451年カタラウヌム平原で、西ローマ軍と激戦が行われた。勝利を得なかったアッティラは一時パンノニアに帰り、翌年イタリアに転進、ローマに迫ったが、教皇レオ1世の説得をいれ、パンノニアに帰り、453年に死んだ。彼の死後は子孫の間に争いが絶えず、カスピ海よりライン川にまたがるフンの大王国は分裂、微弱化し、ブルガール人、アバール人に吸収混融し去った。フン人とモンゴルに繁栄した匈奴(きょうど)とが同族ないしはその子孫であろうとの学説は、遊牧を基礎とする生活様式、風習、遺物形式、匈奴の西方移動とフンの中央アジア出現時期の合致、その使用言語の同一(古代トルコ語)のほか、中国の『魏書(ぎしょ)』がアッティラやその子孫のフンのことを匈奴と記していることなどから主張されている。少なくとも巨視的にみて、両者が同一系統の民族であることは疑いない。

[内田吟風]

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百科事典マイペディア 「ふん」の意味・わかりやすい解説

フン

中央アジアの騎馬民族。トルコ系,モンゴル系,あるいはその混成ともいわれる。匈奴(きょうど)と同一かは不明。4世紀から西進を始め,東ゴートを服属させ,西ゴートを追って民族大移動の発端をつくった。5世紀半ばアッティラのもとで大帝国を建設。ガリア,イタリアに侵入したが,アッティラの死とともに大帝国は瓦解。以後ドナウ川中流域に退き,アバール族やマジャール人と同化。ハンガリー(フンガリア)の名はフンに由来する。
→関連項目カタラウヌムの戦ゲルマン人テオドシウス[2世]ブルグント

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ふん」の解説

フン
Hun

4~5世紀に中央アジア西部からヨーロッパに侵入した遊牧民。トルコ系,モンゴル系を主体としつつも,さまざまな民族が入っていたらしい。匈奴(きょうど)が西走してフンになったとする匈奴=フン同族論が有名だが,まだ証明されたとはいえない。ただし匈奴の一部がフンの中核になった可能性はある。350~360年代にヴォルガ川を越えてアランを服属させると,375年頃アランとともに東ゴート王国に侵入し,376年には西ゴートに迫った。西ゴートはドナウ川を渡ってローマ帝国領内に入り,民族大移動の引き金を引いた。フンは破った民族の多くを吸収して急速に拡大し,一部はカフカースを越えて西アジアに侵入した。433年頃ブレダとアッティラの兄弟が共同統治していたが,まもなくブレダが死に,アッティラが単独の支配者となって,カスピ海からバルト海に及ぶ大帝国を築いた。451年に北フランスのカタラウヌム(一説ではマウリアクム)の戦いで西ローマ‐西ゴート連合軍に敗れ,453年にアッティラが死ぬと帝国は瓦解した。

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世界大百科事典(旧版)内のふんの言及

【匈奴】より

…一方,北匈奴は鮮卑・丁零族に攻撃され,かつしばしば後漢の遠征軍に撃破されたので,91年オルホン河畔の根拠地をすてイリ地方に移り,半世紀間タリム盆地の支配権を後漢と相争ったが,2世紀の中ごろキルギス地方に西遷し,以後中国の史上よりその消息を絶った。4世紀にヨーロッパに侵攻したフンはこの北匈奴の子孫であろうと考えられているが,まだ定説ではない。しかし,北匈奴のモンゴリア退去とフンのヨーロッパ出現の時期的一致,両者の習俗の同一などのほか,両者の使用言語がともにチュルク語であること,両者の遺物がきわめて類似の様式をもつものであること,匈奴という文字は昔フンに近い音をあらわす文字であったと考えられるばかりでなく,五胡十六国時代の匈奴を当時のソグド商人がフンと呼んでいたことなどに徴して,少なくとも匈奴とフンとは密接な関係にあるものと考えられる。…

※「ふん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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