アーニーエルス(英語表記)Ernie Els

現代外国人名録2016 「アーニーエルス」の解説

アーニー エルス
Ernie Els

職業・肩書
プロゴルファー

国籍
南アフリカ

生年月日
1969年10月17日

出身地
ヨハネスブルク

本名
Els,Theodore Ernest

経歴
子供の頃はテニス選手、クリケット選手として活躍、ラグビーで代表候補になったこともある。1989年プロゴルファーとなり、’92年南アフリカオープン、南アフリカプロ、南アフリカマスターズの同ツアーメジャー三冠を制した。’93年欧州ツアーでは全英オープン6位、同年11月日本のダンロップフェニックスで母国以外での初勝利を挙げた。’94年米国男子プロツアー(PGA)の全米オープンで3人による18ホールストロークプレーのプレーオフ、さらに2人によるサドンデスを制して優勝、米国ツアー初勝利がメジャー初制覇だった。同年世界マッチプレーでも優勝し、以来3連覇。’97年全米オープンで2度目の優勝。同年ダンヒル・カップの南アフリカ初優勝に貢献。2002年全英オープンでメジャー史上最多の4人によるプレーオフを制し初優勝。2005年より3年間は膝を痛めた影響で米国ツアーでの勝利から遠ざかる。2011年は未勝利に終わり、世界ランキング60位まで急落。2012年全英オープンは6打差からの逆転で10年ぶり2度目の優勝を果たす。欧州ツアー通算28勝。米国ツアー通算19勝。191センチ、95キロ。2008年長男が自閉症であることを公表し、同じ病気の子供たちを救うためのチャリティ活動にも取り組む。2011年世界ゴルフ殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「アーニーエルス」の解説

アーニー エルス
Ernie Els
ゴルフ

プロゴルファー
生年月日:1969年10月17日
国籍:南アフリカ
出身地:ヨハネスブルク
別名等:本名=Theodore Ernest Els
経歴:子供の頃はテニス選手、クリケット選手として活躍、ラグビーで代表候補になったこともある。1989年プロゴルファーとなり、’92年南アフリカオープン、南アフリカプロ、南アフリカマスターズの同ツアーメジャー3冠を制した。’93年欧州ツアーでは全英オープン6位、同年11月日本のダンロップフェニックスで母国以外での初勝利を挙げた。’94年米国男子プロツアー(PGA)の全米オープンで3人による18ホールストロークプレーのプレーオフ、さらに2人によるサドンデスを制して優勝、米国ツアー初勝利がメジャー初制覇だった。同年世界マッチプレーでも優勝し、以来3連覇。’97年全米オープンで2度目の優勝。同年ダンヒル・カップの南アフリカ初優勝に貢献。2002年全英オープンでメジャー史上最多の4人によるプレーオフを制し初優勝。2005年より3年間は膝を痛めた影響で米国ツアーでの勝利から遠ざかる。2011年は未勝利に終わり、世界ランキング60位まで急落。2012年全英オープンは6打差からの逆転で10年ぶり2度目の優勝を果たす。欧州ツアー通算28勝。米国ツアー通算19勝。191センチ、95キロ。2008年長男が自閉症であることを公表し、同じ病気の子供たちを救うためのチャリティ活動にも取り組む。2011年世界ゴルフ殿堂入り。

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367日誕生日大事典 「アーニーエルス」の解説

アーニー エルス

生年月日:1969年10月17日
南アフリカのプロゴルファー

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